光の中を歩もう

2021.09.14「三冠」
 藤井聡太さんが三冠になりました。最年少19歳1カ月の記録は当分破られそうもありません。ただ、ケチをつけるわけではないですが、昔よりもタイトルが増えている分、三冠になりやすかったとも言えます。調べてみると、1947年までは名人位しかなかったのが、戦後、各新聞社が競ってタイトルを作り、1961年には5つのタイトル戦ができていました。そして2015年に叡王戦が創設されたことで、現在は8つになっています。重ねて申し上げますが、藤井さんが実力者であることは疑いようもありません。羽生善治さんが当時のタイトル7つすべてを独占した例もあります。8冠独占だって夢ではありませんが、タイトルを取れない多くの棋士がいることも事実です。「3つくらいにしておいてよ」と思っていないでしょうか。
 「女たちは楽を奏で、歌い交わした。『サウルは千を討ち ダビデは万を討った。』」(サムエル上18:7)これは、タイトルホルダーであったサウルが、新進気鋭の新人に人気、実力とも奪われたと自覚した瞬間でした。彼は「よくやった」ではなく、「これを聞いてサウルは激怒し、不快の念に駆られて言った。『ダビデには万と言い、私には千と言う。あとは王位を与えるだけか。』」(18:8)。
 将棋界ではどんな受け止め方をしているのでしょうか。気になります。
2021.09.08「入れ墨」
 オリンピック、パラリンピックで気になったのは選手の入れ墨(タトゥー)です。ユニフォームを着ると肌の露出度が違いますので、よけい目立ったのかも知れませんが、かなりの選手に見られました。日本人の多くは、すぐにヤクザ者を連想します。文化が違うとはいえ、ちょっとやりすぎじゃないの?という気持ちにはなりました。最近では日本でも若い人の間で増える傾向が見られ、私自身は受け入れがたい思いです。
 若気の至りで入れたはいいけれど、消すことはなかなかできません。自分の子どもができた時、よい影響はまず与えられないでしょう。いつも長袖で過ごし、一緒にプールにも、温泉にも入れません。先日、「集団接種だと腕の入れ墨が見られてしまう。個別会場はなかなか予約がとれないし、どうしようか」との悩みも聞きました。大きなリスクが生じるのです。違うことで個性を磨いてほしいと思います。
 聖書で入れ墨について記されているのはただ一箇所だけです。「死者を悼んで自らの身を傷つけてはならない。入れ墨をしてはならない。私は主である」(レビ記19:28)です。「身を傷つけてはならない」のは、神が与えてくださった肉体を大切にするためです。周辺諸国では偶像崇拝に関係する習慣としてあったとされていますが、自分を誇示するようなレベルなら、やめたほうがいいと思います。
2021.09.01「パラリンピック」
 パラリンピックの父と言われているグットマン博士は当時ドイツ領だったポーランドに生まれたユダヤ人です。サイトで調べると、神経医学専門医として病院に勤務していた1938年、39歳の時にホロコーストを逃れてイギリスに亡命し、その後、長年にわたって国立脊椎損傷センターの所長を務めていたとありました。
 彼は、そのイギリスで第二次世界大戦で負傷して帰ってきた兵士たちの治療にあたりながら、スポーツをすることが身体、精神両面のリハビリに絶大な効果をもたらすことを発見します。そして、博士の提案で、1948年に開催されたロンドンオリンピックの開会式の日に合わせ、病院の敷地内で競技大会を実施したのです。それがパラリンピックの先駆けとなりました。
 博士は常日頃から、「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」と励ましていたそうですが、実際に、再起不能とみなされそうな患者が、パラスポーツを体験することで半年ほどで退院し、社会復帰を果たすようになっていったそうです。
 パウロは言わば身障者だったわけですが、「私は、弱いときにこそ強い 弱い所にこそキリストの力が現れるからだ」と語っています。彼は古代オリンピックを観戦しながら(フィリピ3:14、ヘブライ12:1など)パラリンピックを想起していたかも知れませんね。
2021.08.25「希少価値」
 バブルの時代、地上げ屋が暗躍し、特に都心では驚くほど地価が高騰しました。こうした中で、改正されて施行されたのが「新生産緑地法」です。都市農家が軒並み土地を手放すため、減少していく農地を保全しようとするものでした。
 この法律の内容を簡単に言うと、農地として継続して使うなら税を軽減するなど厚い優遇措置が受けられ、売る可能性がある場合には住宅地並みの税を納めなければならないというものです。ただし、農地として継続するとの申告をした場合、土地に「生産緑地」として掲示し、30年間はその指定をはずせないことになっていました。 
 農地の2022年問題というのがあるんですが、その法律が施行されたのが1992年で、多くの生産緑地が来年、更新時期を迎えるんです。つまり、不動産業者は生産緑地を虎視眈々と狙っていたわけです。更新されないだろうと思って。
 ところが、思わぬ展開になっています。例えば「練馬大根」の生産農家は継続の意思をはっきり打ち出しています。ブランドとして希少価値も高まり、なかなか手に入らない人気商品になっているからです。同様の状況は各地で起こっていて、調査によると、8割の都市農家が売却は考えていないとのこと。
 信仰も守ることで、それは年々驚くほど価値が高まっていくんですよ。
2021.08.18「廃墟」
 町田市の小中学校の多くは、校舎の老朽化、建替え時期を迎えていて、市ではこのタイミングでの統廃合を計画しています。本町田地区は3校を1校にするようですし、この辺だと小山田小、小山田中が廃校予定で、30年間で23校減らすとのこと。だいたいが1960~70年代にできた高層団地がある地域で、その居住者の高齢化に伴い、児童数が減ったのが原因です。同様の問題に直面している多摩ニュータウンでは、子育て世代を呼び込もうと、様々な対策をとっていることはご承知でしょう。
 ただ、日本において総人口の30%近くが65歳以上、15歳以下は12%足らずで、それも年々低下している中、各自治体が少ないパイを奪い合っている「争奪戦」でしかありません。政府が根本的な解決策を打ち出さなければ出生率も上がらず、このまま国力も衰えていくでしょう。ゴーストタウンが増えてくるに違いありません。
 ゴーストタウンと言えば、聖書にも見受けられます。ガリラヤ湖周辺には町が点在していますが、その中にコラジン、ベトサイダと呼ばれる町がありました。遺跡発掘調査によって、かなり繁栄していたと思われるものの、今は廃墟。ゴーストタウンです。主イエスのメッセージを固く拒絶したためだと言われています(マタイ11:21)。かろうじてカファルナウムが観光業で生き残っているくらいでしょうか。
2021.08.11「鶴見線」
 私は現在の川崎市川崎区浅田町に住んでいたことがあります。この付近は川崎港に近いため、明治時代後期から大企業が進出して埋め立てが始められ、アサノセメントで有名な浅野財閥が中心となって物流のための線路も敷設されました。その鶴見臨港鉄道は戦前の国策で国鉄が管理するようになり、現在はJR鶴見線として残っています。それだけではなく、当時の様子が分かる駅名も、変更されずに残っているんです。鶴見から出発です。
 鶴見の次が「国道」。国道15号沿いだから。→「鶴見小野」。地元大地主の小野重行の名前。→「弁天橋」はそのまま。→「浅野」。鉄道を敷いた浅野総一郎の名。→「安善」。安田財閥総裁の安田善次郎の名→「武蔵白石」。日本鋼管社長の白石元次郎の名→「大川」。製紙王の大川平三郎の名、と見事に人名が続くのです。おそらく全国探しても、社長の名前がこれだけ並ぶ路線はありません。その人が社長をしていた会社の敷地で、自分たちが資金を出して鉄道を敷いたわけですから、問題がないと言ったらないのですが、当時の会社はそれだけトップの力が強かったとも言えます。
 さすがに鉄道ではありませんが、聖書には当たり前のように人の名前が地名などになって残っていきます。地名が出てきたら、その名前を調べると、関連があったりするので、面白いですよ。
2021.08.04「宇宙旅行」
 8月13日をピークに、今見ることができるのがペルセウス座流星群です。今年は月光も弱く、条件が比較的にいいようで、北東寄りのほぼ真上を見ていると、13日午前3時頃なら1時間に50個ほど確認できるそうです。
 最近は宇宙も近く感じるようになりました。先日はアマゾンの創業者ベソス氏が自社製ロケットに搭乗し、無事帰還しました。いよいよ宇宙旅行が現実味を帯びてきました。同乗者はベソス氏の弟と宇宙飛行の最高齢者となった81歳の元女性宇宙飛行士、そしてもうひとりが世界最年少となったオランダ人青年(18)です。この一席はオークションにかけられ、2800万ドル(約31億円)で一旦は落札されたものの、その人物が仕事の都合で直前にキャンセル、投資会社CEOの息子であるデーメンくんに権利がまわってきたのだそうです。実は彼、今まで一度もアマゾンで買い物をしたことがないそうで、それを宇宙船内でベソス氏に言うと、「そんな話を聞いたのは久しぶりだ」と言われたとの逸話も残しました。
 10分間の宇宙旅行で30億は高嶺の花ですが、3000万くらいになれば、買い物気分でアマゾンのサイトでクリックし、カートに入れるなんて人がかなり出てくるでしょう。
 天体学者だった東方の博士たちも、星の輝きを見誤る時代になってきました。
2021.07.27「ヴォーリス」
 毎年のように、夏を迎えると核兵器使用問題や第二次世界大戦に関連する記事が掲載されます。
 今年は「なぜ東京裁判で天皇裕仁は裁かれなかったのか」との記事を目にしました。天皇戦争責任論は今までも肯定派、否定派それぞれの論客が議論を重ねてきたわけですが、同時に、年々、新たな資料や証言も発見され、常にホットな話題になります。
 今回、別のメディアに、マッカーサーが天皇を裁判にかけないように動いたのは、ヴォーリスの働きかけがあったという記事を見つけました。ご承知のように、ヴォーリスは宣教師として滋賀県近江八幡に住み、建築家、実業家として活躍した人です。
 内容はこうです。終戦時、彼のいた軽井沢に近衛文麿の使者が来て、「天皇の助命嘆願のために近衛が元帥に会えるよう、取り計らってくれないか」と依頼された。ヴォーリスは承諾し、横浜に赴くと、偶然旧知の宣教師の息子と会う。彼が将校だったため面会要請を託すことができ、その働きもあって、近衛との会談が実現されたというものでした。
 もう一つ、マッカーサーと天皇の会談は、ヴォーリスの妻、満喜子氏も一枚かんでいたようです。この会談でマッカーサーは天皇の態度に感銘を受け、心情的にも天皇不起訴に傾いたとされています。
 ヴォーリスは文化面だけでなく、歴史にも大きな足跡を残していたことになりますね。
2021.07.20「盲腸」
 今も放送を続けているラジオ放送の「世の光」やテレビ放映されている「ライフライン」を製作しているPBA(太平洋放送協会)の理事長兼ラジオ牧師だった羽鳥明先生をご存じでしょうか。大衆伝道者ビリー・グラハム師が2度目に来日した際には通訳もされていましたが、戦後のキリスト教会を牽引されてきた指導者の一人です。
 その羽鳥明先生、盲腸になったことがきっかけで献身したのだそうです。最近知りました。実は、私は献身してから盲腸になっています。羽鳥先生と同じだったら、箔が付いたのに。残念です。
 聖書学院卒業間近のある日のこと。下腹部が妙に痛み始めました。最初は単なる腹痛だと思っていたのですが、同室者の指摘で盲腸では?となり、夕方病院に行くと、ビンゴ!。即、手術となりました。その時の医師と看護師の会話が忘れられません。小声でのやりとりでしたが、こんなのでした。 
医「やらなきゃまずいよね」 看、強くうなずく。
医「まいったなあ。なんでおれが当番の時に」
看「大丈夫です。すぐ終わりますから」
医「久しぶりだなあ」
看「心配しないでがんばってください」
 おそらくその看護師の強力な介助があったのでしょう。手術は成功し、無事生還したのでした。
 話が脱線してしまいました。すみません。
2021.07.13「カラット」
 新約聖書に出てくる有名な「ほうとう息子」の話をご存じでしょう。生前贈与を受けたのはいいけれど気が大きくなってみるみるうちに一文無しになり、時悪しくその地方が飢饉になったことで働くどころではない、生きるのがやっとの状態になってしまいます。彼は「汚れた動物」とされていた豚の世話をするまで身を落とし、空腹のゆえに、その豚の餌にまで手を出そうとするほど追い詰められます。
 その餌が「いなご豆」です。いなご豆の実はサトウキビが手に入るまでは「甘味」の原料になるほど重要でしたので、豚の餌は残った「さや」だと思われます。それこそ惨めな状況だったのです。
 このいなご豆ですが、不思議にも豆の粒が均一なのです。もちろん今の秤で正確に測れば多少は違うのでしょうが、当時のことですから誤差はなきに等しいわけで、この均一さを利用し、計量の道具にしていたようです。いなご豆のギリシャ語「ケラティオン」から、いなご豆1つを1「カラット」と呼ぶようになったとされています。現在も宝石の重さの単位として使われている「カラット」です。
 1カラットは0.2グラムです。やはり0.2グラムのダイヤモンドより、「1カラットの~」といったほうが高級感が出てきますが、逆にいなご豆の粒1つ分のダイヤと言ってしまうとガラス粒に思えてしまいますね。
2021.07.06「徹底駆除」
 天気の良い日、境川沿いを通るとカメが甲羅干しをしています。すべてミシシッピ アカミミガメ(ミドリガメ)です。今まで特定外来生物に指定されていなかったことが不思議ですが、今回の法令でアメリカザリガニと共に対象となるようです。
 私の子どもの頃、下校時刻を見計らって通学路に露天商が出てきて、ミドリガメやひよこ、ヤドカリなどを売っていました。当時は外来種などという言葉もなく、また生態系が崩れる危険など言われていませんでしたから、相当数、野に放たれたはずです。アメリカザリガニなど、1927年に輸入されたそうですが、そのへんの汚い川に網を入れると必ず採れましたから、すごい勢いで繁殖したんですね。
 深刻なのは川魚です。ブルーギルは今の上皇が芦ノ湖に放流したのですが、繁殖力が強く、みるみるうちに全国区です。ブラックバスと共に在来種を食べてしまうため、特に琵琶湖などでは大きな被害が出ています。
 ヨシュア記では神さまからヨシュアに「聖絶」の命令が出ています。これは占領されてしまった約束の地を取り返していく中でしなければならないことでした。ところがそれを怠ったことで、ほうぼうで偶像礼拝が生じ、信仰がほころびる要因となります。本来あってはならないものを放置すると、取り返しのつかないことになるのです。
2021.06.29「飲酒運転」
 千葉県八街市で28日、下校中の小学生の列にトラックが突っ込み、男の子2人が亡くなり、1名が意識不明の重体、2人が重傷を負いました。運転手は飲酒し、さらに居眠りをしてようだと報道されています。まったく痛ましく、また許しがたい事件です。
 たとえば、あれだけ報道され、取り締まりが強化されてもあおり運転は後を絶ちません。先日はお寺の住職が逮捕されていましたが、倫理観の欠如している人物は多く存在します。コロナで飲むなと言われているのに開く居酒屋あり、飲みに行く客がある。情けないの一言です。
 ただ、実は聖書には「酒を飲んではならない」との記述はありません。それは水が十分に手に入らない地域であったため、健康維持のためにぶどう酒が用いられていたからです。ですから、アルコールを飲んでいいという理由にはなりません。
 「酒に酔ってはなりません。それは身を持ち崩す元です」(エフェソ5:18)とあり、はっきりと「罪を生む原因」とされています。摂取しなければ生きられないわけではなく、嗜好品です。どだい節制などできず、酔ってしまうのがおちです。それよりも、アルコールによってどれだけの犯罪が起きているでしょうか。どれだけの家庭が崩壊し、子どもに悪影響を及ぼしているでしょうか。自分の体験から申し上げています。ぜひ飲酒はやめてください。
2021.06.22「黄金比」
 先週、書道教室の作品展を行いました。もちろん生徒たちは字が上手になりたいと思って通ってきています。中学になると部活が忙しくなるため、半数以上の生徒たちはそのタイミングで卒業していきますが、「上手な字を書けるように」というレベルから「より美しく書きたい」と思うようになっていると、そのまま続けて通ってきます。つまり、習字から書道、習い事から芸術の領域に踏み入れるわけです。
 よい作品を書くためには多くのすぐれた作品を見ながら自分の芸術性を高め、美的感覚を研ぎ澄ませていかなければなりません。私の書道は片手間なので、中途半端な作品しか書けませんが、厚かましくも、もっとうまくなりたいなあと思っています。
 さて、アダム以来、美しいもの、また美しい形に憧れてきた人間は、万国共通のようにして黄金比、白銀比に到達します。神さまが造られたわけですから、美的感覚も同じなのでしょう。
 黄金比とは1:1.62です。例えば、アテネのパルテノン神殿やパリの凱旋門、ギザのピラミッド、京都の醍醐寺の五重塔に使われています。名刺もこの比率です。白銀比は1:1.41(1:√2)です。紙のA判(ドイツ判)、B判(美濃和紙判)がそうですが、日本人好みなのか、法隆寺などの寺社建築に多く見られ、スカイツリーやアンパンマン、ドラえもんといったキャラクターにも使われているそうです。
2021.06.15「白と黒」
 結婚式に親に連れられてきた女の子、何しろ初めてなので、夢のような世界に興味津々だったと思います。結婚式の前の打ち合わせの時でしょうか。その女の子が花嫁さんを見て、口を開きました。「なんで白いドレスを着ているの?」。そう聞かれてお母さんはとっさに、「白はしあわせの色でしょ。今日が一番幸せな日だから白のドレス着てるんだよ」と説明したそうなのです。とても気のきいたこたえですよね。ところが、その女の子、「じゃあ、隣の男の人はなんで黒い服を着てるの?」。
 お母さんがどうこたえたのか分かりませんが、私など「いやあ、鋭いね」と答えてしまいそうです。
 紅白は運動会、歌合戦など、勝ち負けの勝負をつける場合に使います。これは源氏と平家の旗色が起源になっています。碁石が白黒なのは、違いがはっきり分かる石を使ったからだと思いますが、それ以外は、「白黒をつける」という言葉もあるように、大抵は白が正義、黒が悪を指します。この逆は聞いたことがありません。これは黒=闇のイメージがあるからでしょう。
 聖書は白と黒を光と闇、生と死、罪と聖のようにはっきりと使い分けています。神につくか、世につくかの究極の選択です。人間は明るみに出たら善行に励みますが、暗闇では何をしているかわかりません。皆さん、黒になってはいけませんよ。
2021.06.08「さびしい駅」
 東海道新幹線の活況を受けて、整備新幹線計画を決定したのが50年前です。ところが簡単ではなく、とりあえず青息吐息で東北、九州、北陸、北海道と、なんとか部分開業して現在に至っています。
 東海道新幹線には政治家が田んぼの真ん中に作った「岐阜羽島」という駅があり、1日の乗降客数は3000人しかありません。今でも目立った開発はなく、駅前には、「こんな身勝手な政治をしてはいけないよ」とのシンボルになりさがった代議士夫妻の銅像が建っているだけです。
 さて、ここで問題。整備新幹線区間内で一番乗降客が少ない駅はどこでしょうか。
 答えは北海道新幹線の「奥津軽いまべつ」です。なんと1日の平均乗降客は26人なんだそう。実は北海道新幹線開業前は東北新幹線の「いわて沼宮内(ぬまくない)」(78人)で、開き直ったその地域は「最もさびれた新幹線駅」を売りにし、そこそこもうけていたらしいんです。ところが今回、北海道新幹線が開通し、「木古内(きこない)」にも抜かれ、3位になって、自嘲気味のアピールもできなくなってしまいました。
 中途半端って、本当に食えないんです。「あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい」(ヨハネ黙示録3:16)って、こんな状態ですよね。
2021.06.01「続・ワクチン」
 この欄で、現在接種が進んでいるコロナウィルスのワクチンが、人間のDNAを作り替え、本来持っている免疫能力を破壊する恐れがあるとの説があり、本当にそうなら生命倫理の観点から避けるべき、と記しましたが、その後、丁寧にご教示くださる方がいて、結論、誤解であることが分かりました。
 戦争に例えてみましょう。コロナ軍から軍事力情報「RNA」と先制攻撃隊「スパイクたんぱく質」の作戦情報を入手した諜報部員「m(メッセージャー)」が戻って来ました。この情報は「mRNA」と呼ばれ、各方面にその内容をコピーして配り、読んだら捨てるように指示されます。こうして、感染触手「スパイクたんぱく質」の奇襲作戦は筒抜けになり、また情報を元に備えをしているため、完璧な迎撃ができるようになる。これがファイザーやモデルナの「mRNA」ワクチンの仕組みです。
 「スパイクたんぱく質」の情報をコピーし、免疫抗体が作られるわけですが、この抗体が変質したりすることはあっても、DNAが組み変わるという根拠は今のところ示されていません。農作物などは遺伝子組み換えによって大きな影響が及んでいて、マスコミはそれを取り上げてきました。もし人間のDNA改変ならばもっとニュースなどに取り上げられてよいはずです。現時点では、ワクチンは拒否すべきものではないと考えるのが妥当かと思います。
2021.05.25「王の年表」
 今、イスラエル王国の年表を作っています。時間がある時にちょっとずつやっているので、もう少し時間がかかります。しばらくお待ちください。
 一番やっかいなのは「△△が□□に代わって○○年に王になり、○○年統治した」という、基本的な情報です。年報『めぐみ』の特集、士師記でも書いたのですが、単純に加算していくと、絶対に合わないんです。この王の年代も同様で、南北の王の治世が出てきますから、それを合わせていけばいい、といった非常に単純な作業に感じるかもしれませんが、やってみてください。全く合いません。「こっちを合わせるとあっちが合わず」という感じです。しかも、中には8歳で父親になった人物も出てきてしまう有様。そこをいろいろな計算式を駆使するようにして聖書を何度も読み、文献をあたり、それをもとに考えて正答を出していく。大変ですが、私、そういうの好きなんです。
 ちょっと予告編ですが、年代のダブりを解くカギのひとつは「共同統治」です。つまり、様々な事情で職務が果たせなくなった王が、その存命のうちに子に王位を譲ったり、代理をさせたりする例がありました。何年かの後、正式に王に即位すると、そこにその王の在位に関する2種類の数字が現れるというわけです。どこを統治1年とするか、そこはまた読みが必要なのですが。とにかく、お楽しみに。
2021.05.18「におい」
 動物園に「ご意見箱」があると、必ず「においがくさいからなんとかしてほしい」とのクレームに似た投書があるそうです。動物番組を見るだけなら「かわいい」とか「かっこいい」で終わってしまいますが、実際に動物園に行けば、確かに動物のにおいがします。それを不衛生と感じる人がいるのでしょう。
 そのような意見に対し、回答した鹿児島県の動物園長のSNSが反響を呼んでいます。
 「前文略…シカは繁殖期の秋になると特有の匂いがします。特にオスは強い匂いを発します。その匂いがすると、私は秋を感じます。アシカは真水で飼育していますが、『海の香りがする』と言う人もいます。海水魚を餌にしているからでしょうか?
 動物園では見るだけではなく、『嗅ぐ』楽しみ方もあります。臭いがするからイヤ、などと言わず 感覚をフルに使い、動物たちの立場に立って理解してもらえたらうれしいです」。
 聖書を読んでいる時も同じで、そこに生活のにおいを感じようとする姿勢が大切です。きっとろばの息づかいのするような家に住んでいたでしょうから、くさいなどと言っていられなかったはず。砂ぼこりが舞う乾燥地帯です。パンを食べていてもジャリジャリしていたでしょう。そんなことを考えていると、思わぬ発見があるものです。
2021.05.11「ワクチン」
 コロナの感染を抑えるために、日本でもワクチン接種を急ぎ進めています。イスラエルを筆頭にイギリス、アメリカなどでも新規感染者が減少し、効果が証明されてきていますが、ワクチンの安全性については不思議なようにメディアでも取り上げられていません。
 ちょっと気になるこの状況下で、有名なワクチン解説者からの緊急提言を耳にしました。
 内容をかいつまんで言うと、このワクチンは人間の遺伝子を操作して、COVID-19だけを抑えるために開発されたもので、その代わりに人間が生まれながらに持ち合わせていた自分で免疫を作る力を奪ってしまう、しかも遺伝子を操作するため、その力は永久に失われ、他の病気に対し、無防備になってしまうというものでした。
 つまり、一時的な防疫のために、すべてを犠牲にしていいのかと問いかけているのです。
 ただ、このような状況下で無視されているのかわかりませんが、メディアのみならず、国会でも取り上げられていないし、議論にもなっていないのが不気味です。もしこれが事実であるとするなら、生命倫理にもかかわることで、「極めて良かった」(創世記1)と言われ、人間を「祝福された」神さまであることを信じている私としては、聖域を侵すものであるとの立場を取らざるを得ません。
2021.05.04「外交官」
 駐車禁止の場所だと知っていながら堂々と車をとめ、レストランで食事。戻って来くると違反ステッカーが貼られているのは当たり前ですが、その行為に対し、執行した警官を怒鳴りつけ、ステッカーを破り捨てて走り去っていく。やくざではありません。駐日外交官の仕業です。
 大使館や領事館は日本にあってもその中は「外国」であり、支障なく外交ができるように、外交官特権で守られてもいます。それで気が大きくなっているのか分かりませんが、外交官ナンバーの付いた車を私的にも乗り回し、やりたい放題をしている人物が多いのだそうです。2018年には3948件、そのほとんどが中国、ロシアの外交官だとのこと。
 当然、違反金も踏み倒されていましたが、このとんでもなく迷惑で高慢ちきな行為に対し、外務省は5月から、駐車違反金が未納の場合にはガソリン税などの免税措置を講じないと通達を出しそうです。
 日本は外国人に対し非常に弱腰です。先日もスパイだと知りながら、中国に帰国するのを指をくわえてみているだけという事件がありました。
 聖書では、スパイだと分からずに国家機密を見せてしまい、その結果、侵略されてしまった王様が出てきます。イザヤはその王、ヒゼキヤに言っています。「全部見せちゃったの?」(列王記下20:15)。これがきっかけでバビロンに攻められるのです。
2021.04.27「織部焼」
 焼き物には全く興味はないのですが、書道でいろいろな賞をいただいていると、集まってきてしまいます。先日は「織部焼(おりべやき)」の器をいただきました。
 その織部焼の始祖、千利休の弟子の古田織部はもともと大名だったのですが、茶道に生きたことによって秀吉や家康にも仕え、戦国を生き延びた人です。
 利休がわびさびを説いた人でしたから、織部も今までの器の既成概念を打ち破れたのでしょうね。器をわざと変形させたり、扇型にしたりして作ったんです。特に抹茶碗がそうです。必ず飲み口がゆがんでいます。もう一つは緑の釉薬(ゆうやく)です。すっと出された時に、まわりの空気がぐっと深まっていくような、そんな存在感があります。そんな気持ちになるときには、「まずい、まずい。はまったら大変なことになる」と自制をかけていますが。
 松永久秀は織田信長の手に渡らないように、名器と一緒に爆死したと言いますし、同時期の武将、荒木村重も信長に逆らい、家族ではなく茶碗をもって逃亡したくらいです。魅せられると人間、何をするか分かりません。 
 罪を犯す順番がヨシュア記7:19~21に記されています。「見て」「欲しくなり」「取りました」「隠してあります」。まず見ないことですかね。
2021.04.20「我慢の効果」
 「まん延防止等重点措置」が適用されてはいるものの、多くの人たちは効果を期待していないでしょう。また、大阪府知事が「人流をとめる」と強調していますが、コロナ慣れしていることもあり、緊迫感をもって受けとめられてはいません。最近は公園などでたむろして「外飲み」をしているやからが多くなってもいるそうで、節制できない、人間の罪の姿が現れています。
 秋田県はハタハタが名物。ところが毎年1万トンの水揚げがあったのに1977年以降減り続け、とうとう1991年には70トンにまで落ち込みました。ここで漁師が決断したのは「禁漁」でした。もちろん生計の手段がなくなるわけですから、反対する人も多くいたそうです。しかし、それ以上に資源枯渇の危機感は大きく、話し合って、92年から95年まで自粛を通したのでした。
 その3年間、出稼ぎに出たり、他の仕事の手伝いでなんとか苦境を乗り切ります。解禁後は漁獲量に上限を設けて計画的な漁業を実施すると、徐々に効果が出始め、2008年には2900トンにまで回復したのだそうです。
 ガラテヤの信徒への手紙に、「泥酔、馬鹿騒ぎとそのたぐい」を肉の行いとしています。自分の快楽の追求は、すなわち自分の首をしめる行為に等しいのだと気づいてもらいたいですね。
2021.04.13「ヤングケアラー」
 今回、厚生労働省がヤングケアラーについての調査を公表し、その実態が明らかになりました。
 小3から認知症の祖父母の面倒を親から押しつけられてきた少女は、それを「お手伝いの延長」ととらえてきました。しかし間もなく、昼夜問わず徘徊する祖母につきっきりとなり、寝不足になり、学校に行けなくなっていきます。そして、祖母が亡くなって、やっと解放された間もなく、今度は父親が失職。母も病弱だったため、高2になっていた彼女は、家計を支えるために長時間のアルバイトをせざるを得なくなったと言います。
 今回の調査では、20人に1人の中高生が同じような境遇にあることがわかりました。勉強する時間がなく、十分な睡眠時間がとれず、通学がままならなくなるのは当然です。私たちが関わっている子どもたちも同じような境遇にありますので、他人事ではありません。いや、それよりも、やっとそのような子どもたちに対し、衆目できる機会が与えられたかと思っています。
 「幼子たちの命のために 主に向かって両手を上げよ。彼らは街角の至るところで 飢えで弱り果てているのだ」(哀歌2:19)。いつの世も、犠牲になるのは子どもたちです。無関心でいることは、彼らを見捨てることと同じです。「両手を上げよ、主に祈れ」。その主からの要請に応えるべきです。
2021.04.06「連結」
 橋本駅近くにあった協同病院が移転しました。旧職業訓練大学校の跡地ですから、二本松と内出の中間で、住所としては「橋本台」のようです。リニアの工事のために立ち退くことになった相原高校も隣にお引っ越しをすませています。
 医療拠点にふさわしい大きな施設にはなったようですが、当然ながら、駅のそばではないので不便です。そこで、神奈川中央交通は、新に橋本駅と病院を結ぶ新路線の運用を開始しました。そして、その路線に、朝7時台の1日1本らしいですが、橋本駅発で連節バスを導入したのです。実は、私、年末まで協同病院にかかっていたのですが、担当医から、「あなたの症状は軽いので、近くの町医者に行ってくれませんか?」と言われました。承諾したのですが、連節バスが走ると分かってたら、「いやだ」って言っていたかも知れません。4月からは相原駅と法政大学区間でも「ツインライナー」が走り始めたということなので、そのうち乗る機会も与えられるでしょう。
 旧約聖書にはよく出てきますが、当時はらくだを何十頭も引き連れた隊商が街道を行き来していました。一筋でも間違えれば、そこは果てしのない荒野です。命取りになるため、連結するように移動していました。長い列になっていたでしょうね。平山郁夫の一連のシルクロード作品を思い出しました。
2021.03.30「城壁」
 愛知県には史跡が多く残されており、それを見るために子どもたちを連れて何度か訪れています。中でも印象に残っているのが犬山城です。当時はまだ最後の城主、成瀬氏個人が所有していたのですが、維持が困難になり、2004年から犬山市が管理するようになりました。国宝のお城が自分の家だったのですから、すごいですよね。
 この犬山城の天守が最近の調査で、現存する最古の天守であることが分かったのだそうです。織田信長の息子信雄(のぶかつ)よって1585年ごろに築城が開始されたらしく、「築城当初からいまの望楼型と分かった」ことが大きな成果だったとか。
 しゅろの主日で、「入城」と言ういうのは、エルサレムが城壁に囲まれていたからだと申し上げましたが、城壁内には日本でいう「天守閣」はなく、要塞都市、城郭都市と呼ばれているスタイルです。高い壁で町を囲み、その壁の上に敵の侵入を監視したり、攻撃場所となる望楼がいくつか造られていました。エリコなどは人が住めるほどで(ヨシュア記2:15)、重要な町であればあるほど堅固な城壁が築かれたのです。
 宗教改革者ルターは、「神はわがやぐら」という賛美歌で、「神さまは、神のもとに身を寄せた私たちを、その堅固な城壁で守ってくださる」と告白しています。私たちもそうありたいと思います。
2021.03.23「エジプト展」
 江戸東京博物館で開かれている「古代エジプト展」に関する記事を読みました。
 ツタンカーメンをご存じですよね。彼のお父さんはエジプトの多神教を嫌って排除し、代わってアテン神という一神教の礼拝を強いた王様でした。つまり大胆な宗教改革をし、国を一つにしようとしたわけです。その王の子がツタンカーメンです。いえ、最初は、トゥトアンク・アテン(唯一神アテンの生きた似姿)つまり、ツタンカーテンだったんです!
 でもそのお父さん王、多神教の神官たちを解雇するなど、あまりに急な路線変更をしたため、民衆もついていけず、まとまるどころか内外政に混乱を生じさせた末、志半ばで死んでしまいます。
 その後9歳で即位したのが、ツタンカーテンでした。虎視眈々と復権を狙っていた多神教支持者たちはこの機を逃さず、うまいこと実権を握ります。幼い王はもともとどっちでもよかった?ので、多神教路線に戻り、名前も「ツタンカーメン」(トゥトアンク・アメン、守護神アメンの生きた似姿)に変えて、彼らに従順を示したのです。
 彼はBC1350年前後の人だとされているので、聖書では士師記の時代です。ちょうど神の民たちが定住したことで周囲の多神教地域に影響を受け、偶像か真の神かで揺れている時代です。エジプトでも大変だったんですね。
2021.03.16「大声」
 お祈りしていただいていた重本和子姉が召されました。みなさんのご協力により、葬儀一切を無事にすませることができました。ありがとうございました。
 今回は親戚もおられませんし、みなさんに面倒をかけないよう、私だけで火葬場に向かいました。
 いつも「最後の献花」をしている炉前のロビーは天井が高いのでよく響きます。炉が隣り合っていなくても聞こえてしまうので、良識のあるお坊さんは声を抑えて読経します。ところが今日いたお坊さんはこれでもかというくらい大きな声を張り上げていました。コロナの自粛もおかまいなしです。私は収骨室にいたので影響はありませんでしたが、炉前にいたほかのお坊さんはいやだったでしょうね。
 「仏式での葬儀中、子どもが騒ぎ、何度か注意しているうちに腹が立ってきて、思わず『うるせーぞ、このくそ坊主!』と叱った途端、読経がやんだ」という話を聞いたことがありますが、そんなことを思い出すくらい、あきれてしまいました。
 主イエスが大勢の人々に語られる時、大声で話されていたと思いますが、マイクがない時代、果たしてすべての人に肉声が届いたでしょうか。私は、肉声は聞こえなくても、魂に響いてきたのではないかと思っています。それが本当のメッセージではないかなと思います。
2021.03.09「オリンピックの伝説」
 森前会長の差別発言を機に、オリンピック、パラリンピックのボランティアや聖火ランナーの辞退が相次いでいます。ただ、開催は決定していませんが、聖火リレーだけはスタートしておかないとまずいことになります。担当スタッフや調整役も大変な思いをしておられるでしょう。
 聖火ランナーに指名された人はそれなりの経歴があるわけですが、存命中の世界最高齢者である田中かねさんがランナーとして参加すると報道されていました。なんと118歳。もちろん車椅子に乗ってだと思いますが、実現したら、世界最高齢の聖火ランナーになるそうです。組織委員会や関係者としては世界にもアピールできますし、ぜひ実現してほしいと思っているでしょう。きっと伝説になりますね。
 オリンピックは新約聖書の時代にも実施されていました。ペトロが殉教した時代に皇帝だったネロは暴君で知られているのですが、オリンピックにまつわる逸話が残されています。彼はオリンピックで優勝したいため、4年に一度の開催年を変更させ、なおかつ自分が得意であると自信を持っていた「歌唱」という部門も作って、この「種目」を含めた7種目に出場、すべてに優勝したというものです。いや、すべてに完敗しているのに、勝者として表彰するよう命じたのだそうです。とんでもないやつだったんだなあ。
2021.03.02「リレーアタック」
 最近の車の鍵は、スマートキーといって、車に近づいてボタンを押せば、鍵から出ている電波によって簡単に開閉できるようになっています。ところが、それを利用して高級車を盗んでいる者がいるのだそうです。「リレーアタック」と呼ばれているその手口を紹介しましょう。
 車の鍵を玄関先などに置いておく人は多いと思います。その人は要注意です。実はこの時、鍵からは電波が出ている状態。そこで、犯人はそっと玄関に近づいて鍵から出ている電波を特殊な装置で拾って増幅させ、車にむかって増幅した電波を当て、「鍵がある」と誤認させて、ロックを解除してしまうのだとか。
 神さまに背いていくと「生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ」(コヘレトの言葉9:3)、つまり自ら滅びを招いてしまいます。ですから、私たちもしっかり神さまを信じ、人間がどう生きればいいのかを知っていかなければなりません。
 さて、先ほどのリレーアタックを簡単に防ぐ方法があるそうです。玄関先に置かないことですが、そのようにできない方は、鍵を金属製、特にブリキ製の缶に入れると、電波が遮断されるので、ブロックできるとのこと。お菓子の缶の中に入れておけば安心だそうです。
2021.02.23「カーニバル」
 今年も四旬節に入りました。キリストの復活を記念するイースター前日までの40日間、キリストの十字架を覚えて過ごすことになっています。
 プロテスタント教会は聖書が中心ですが、カトリック教会は聖餐、そしてそれに伴う儀式を重要視しいます。それは、体験を通し、信仰を深めようとしてきたからです。ですので、四旬節の時も、キリストの苦しみを自らが体験するために、断食をし、普段以上に節制して、悔い改めの祈りをささげ続けることが推奨されます。
 そのような中、いつ頃からか行われるようになったのが、カーニバルです。国民の70%がカトリック教徒のブラジルで行われる「リオのカーニバル」は有名ですね。300年も続いているそうですが、さすがに今年は中止になったそうです。
 このカーニバルは四旬節の前に行われます。ご存じのように大騒ぎをするのは、四旬節に入ったら、節制しなければならないからです。特に禁食になるお肉をおなかいっぱい食べた。それで謝肉祭とも言われるわけです。この期間は欲望むき出しで、何をやってもいいような雰囲気になるそうです。
 文化と言えば文化なのですが、信仰的に言ったら本末転倒です。どこまでも人間は罪深いですね。そのような性質があることを自覚することも四旬節には重要ではないでしょうか。
2021.02.16「接種開始」
 いよいよコロナワクチンの接種が始まりました。私はギリギリで高齢者対象外、しかもご存じのように一切持病がありません。順番は秋頃になるでしょう。そのころには接種の必要なくなっている気もしなくはありませんね。
 ワクチンで思い出すのがジェンナーです。彼が発見した「天然痘」の予防法が世界で初めてとなる「ワクチン接種」でした。
 南米のアステカやインカ帝国の滅亡の一因でもあると言われ、日本でも伊達政宗の右目を奪った病気で知られていますが、ジェンナーの生きたイギリス産業革命下の当時も天然痘の脅威は去っていませんでした。医者だった彼は同じ病状が牛にみられ、その牛を扱う畜産農家に免疫が作られていることを知って、種痘を試み、見事に成功させるのです。
 私の子ども時代の教科書には、「自分の子どもにワクチンを接種し、その後、天然痘の膿を接種して、有効性を確かめた」とあったので、自分がジェンナーの子どもでなくて良かったと思い、また、なんで自分の体で実験しなかったんだろうなどと考えていたのですが、実験台にしたその子、自分の子ではなく、使用人の子だったことをあとから知って、がっかりしたことがありました。
 新ワクチンを打つ勇気、後に続く人にとっても大切ですね。
2021.02.09「住職」
 新聞1面の下の広告は、3段を使い、それを8つに分けた枠なので、「38(さんやつ)」と呼ばれていて、書籍広告欄になっています。でも最近、6つになっているのをたびたびみかけます。単純計算だと3割増しの広告料金になっていると思います。
 で、その普段より高いであろう「36」広告を出していた一つに仏教系の月刊誌があったので、何が書いてあるのだろうかと興味本位で取り寄せました。期待していたのは、仏教典の現代風解釈、また説法の例や教勢拡大のために何をやっているか、などの記事でした。ところが、申し訳ないんですが、本当に仏教界は何をやっているんだと思いましたよ。
 お金の上手なもうけ方(そうはかいてありませんが)、仏教の教えとはかけ離れた人集めの仕方、そして、「○○寺の住職が詐欺で逮捕された」とか「▲▲師、暴力事件で訴えられる」などの事件が満載で、それとともに「どのようにしたら訴えられないか」などのアドバイスが書かれてあったりして、まるでどこかの週刊誌みたいでした。
 仏教系新興宗教は目立つ活動をしていますが、既成の仏教寺院は布教活動をしているのでしょうか。「葬式や観光、墓地販売で食べていけるから」ではない。もっとしっかりしてもらわないと、日本人の精神性は全面崩壊しますよ。私は真剣にエールを送ります。「がんばれ!」。
2021.02.02「選挙」
 北九州市議選ではコスプレ「バナナ姫」で有名だった女性が、埼玉県戸田市議選では金髪、暴走族から特攻服と呼ばれている出で立ちで街頭に立ち、しかも「スーパークレージー君」の通称名で立候補した青年が当選しました。この青年は「売名行為」で出た都議選に味を占めて、今回の選挙に出たようで、具体的な政策はなさそうです。選挙のたびに首をかしげるような候補者が出てきます。様々な主義主張があっていいのですが、有権者を混乱させてほしくないですよね。
 混乱と言えば、先回の相模原市議選ではうちにも関係してくださっている「まつながちかこ」さんと、もうひとり「まつうらちづこ」さんという人が出て、松浦さんが最下位同数のくじびきで落選したので、「松永さんの票に私の票が入っている」と訴え、ひともんちゃくありました。
 トランプも選挙に不正があったと主張してクーデターまがいの行動を引き起こしましたし、実際にミャンマーは「選挙はインチキだった」と軍部がクーデターを起こしましたが、元はといえば、納得のいく支持をもらえなかったのが原因です。自分の利益のためには、社会を混乱させてもいいと思っている人たちがなんと多いことか。
 神さまの選びは投票ではありません。「召し」です。こんなわかりやすいことはありません。
2021.01.26「ラジオ」
 FMさがみに出演させていただきました。西門近くのビルの4階に事務所とスタジオがあるだけの地域ラジオ局なので、果たしてどれだけの方が聞いておられるのか知りませんが、この機会にと、自立援助ホームのこともしっかりと入れ込んで、里親の働きについてお話ししてきました。どのようなことを聞かれるのかわかりませんでしたが、必要なことは話せたと思います。お祈りありがとうございました。
 これまでメディアの前には何回か立ったことがあるのですが、中でも一番緊張したのはビリー・グラハム大会の時。衛星放送の最初の5分間の挨拶を任されたのです。ちょうど次男が生まれた次の日、1994年1月13日から4日間、東京ドームの芝の上に立ち、「大会にようこそ!」と言ってから「それでは開会です!」まで、日ごとに内容を変えて語る役目です。全国の地方会場に自分の顔が最初に映ると思ったら、うまく話せるか、本当に不安でした。もう30年近くもたち、何を話したかも忘れましたが、ラジオ伝道の先駆者で名説教家でもあった羽鳥明先生から、「じょうずだねえ」とほめられ、かなりうれしかったのを覚えています。
 モーセは人前では話せない人でした(出エジプト4:10)。しかし、いつからか彼は堂々と語れるようになりました。いやされ、また力が与えられたからです。
 私、適当に話していると思いますか?毎回祈りつつ講壇に上がっているんですよ。お祈りください。
2021.01.19「うまい棒」
 「うまい棒」は子どものおやつの定番です。安いので気軽に買えて、しかもいろいろな味があるので楽しめ、食べてもけっこうな満足感があるからです。
 実は、昨年、子どもクリスマスのためにプレゼントを200袋ほど用意しましたが、その中に3本ずつ、うまい棒も入れました。ところが、注文数を間違えたのか、うまい棒だけがけっこう余ってしまったのです。どうしたらよいものかと考えながら、ついつい1本取って食べてしまったところ、「え、うまい!」。「シュガーラスク味」とあったのですが、侮るなかれだなあと、思うと同時に、じゃあ、ほかのはどんな味がするんだろうとの誘惑にかられてしまい、それ以来、事務室に入るごとに1本ずつ試食するようになってしまいました。ただ、味が濃く、2本食べると胸が焼けますので要注意。子どもには言えない話。ないしょにしてください。そうやって何種類か食べましたが、一押しは「コーンポタージュ味」。あとは「めんたいこ味」、「やきとり味」かな。まだかなりの種類あるようなので、機会があれば、食べ比べしてみようと思っている愚かな牧師です。
 さて、聖書に「菓子」が出てくるのを知っていますか。協会共同訳では「パン菓子」になってしまいました。サムエル上6:19、出29:2、エゼキエル4:12など10カ所以上に登場しますが、おそらく油を塗った「クラッカー」系食物だったと考えられます。
2021.01.12「立ち往生」
 こちらでも雪が降りましたが、日本海側と比べたらかわいいものです。一晩で2mも積もったら、雪になれていないこの地域は大混乱に陥るでしょう。それこそ立ち往生です。届けなければならない荷物のために一日近く動かない車の中で過ごさなければならない方もおられました。物流を支えてくださっている方のご苦労を思い、頭が下がります。
 この立ち往生、にっちもさっちもいかず、身動きの取れなくなった様を表すのですが、もともとは弁慶の立ち往生が由来となっているのはご存じでしょう。兄の頼朝に命を狙われた義経は、東北の雄、藤原氏のもとに身を寄せますが、結局、頼朝の圧力に負けた藤原氏に襲われ、追い詰められたほこらの中で自害して果てます。
 その時、ほこらの入口を守っていたのが弁慶でした。義経に最後まで従い続けた従者です。その彼は全身に矢を受けつつも、敵をにらみつけながら、戸の前に長刀を持って踏んばり立ったまま、死んだとされています。実は、その逸話から生まれたもう一つの言葉が「一所懸命」です。つまり、一つの場所に命をかけた弁慶のように、どんなに苦しくてもそこで踏んばるとの意味があります。
 私たちも神さまに従うために、この信仰(一所)に命をかけていくという心構えを持っていたいと思います。
2021.01.05「自制」
 「腹つまみ ため息ついて 菓子つまみ」。感染が拡大し、ステイホームが叫ばれている中での年末年始、家で過ごされた方が多くおられるはず。そうすると自然と口寂しくなり、「まずいなあこのパターン」と思いながらも、正月用に少し多めに買っておいたお茶うけをだらだらと食べ続けてしまう、そんな様子がうかがえる川柳です。
 箱根駅伝もそうでしたが、選手の家族も応援を控えているのに、明らかにテレビに映りたいためにのこのこと沿道にでてきている人がいました。そして、中継を見て、「みんな沿道に出てきているじゃないか」ということで、終盤になるにつれ、観衆はどんどん増えていきました。
 このような自制もない、自己中心の人たちがいるから、コロナの感染が拡大しているのだと思うと、腹立たしい思いがします。しかし、これが人間の本性なのです。そして残念ながら、この自制心を鍛える決定的な方法はありません。いや、実はひとつだけ方法があります。それは何か。自己中心から神中心への生き方に変えることです。
 聖書には人間がなぜ自分の欲望を抑えられないのか、その原因が記されています。「神を無視している」からです。そこからの話は簡単で、その不義理を悔い、神を信じれば欲望に惑わされなくなります。自分の症状の重さを確認してみてください。
2020.12.29「暦」
 新しい年を迎えます。いつもクリスマスという大きな行事があるため、バタバタとして古い年を引きずりながらの新年になってしまいます。
 ただ、1月1日を機に、何かを始めようといったきっかけにはなっても、いつも申し上げているように、暦が変わるくらいなもので、ほかのものは一切変わりません。
 暦が変わると申し上げましたが、採用する暦が違うと、それこそ普段と変わらない一日になってしまいます。日本には太陰暦だった時代の旧暦が残っていますが、旧暦では1月1日は、まだ11月18日です。それから、西暦を採用していても、時差の関係でニュージーランドは4時間早く新年を迎えています。ただ、ニュージーランドとさほど距離が離れていないハワイになると19時間遅いので、1日近く遅い新年になります。もう少し付け加えると、ユダヤ教やイスラム教になると、「新年」が西暦と半年もずれたりしますし、独自の暦を持っている国や地域があるので、そのようなことを考えると、私たちの新年元旦は、限りなく普通の日に近いのです。
 聖書では、迎えた一日が神さまが私たちにもたらされた新しい一日です。新年を迎えるように希望に満ちて朝が始まり、一日を終える時、感謝をして日を送る。なんとすばらしいことでしょう。与えられた日を大切に過ごしていきましょう。
2020.12.22「トナカイ」
 今年のクリスマスは例年より寂しくなってしまいました。コンサートはかろうじて開催いたしましたが、祝会はなく、子どものクリスマス会もできません。クリスマスの賛美も歌い残したような感覚です。
 ただ、そのような中でも、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれます。みんなそれぞれが喜ぶ時です。
 私、今年初めて知ったことがあります。サンタクロースの乗り物のそりを引くトナカイ、例外なくメスなんだそうです。
 サンタさんのトナカイには必ずと言っていいほど「つの」がありますよね。オスのトナカイは当然ながら立派なつのがはえているのですが、そのつの、秋に入ると自然にとれてしまうのだそうです。メスはどういうわけか春まで落ちず、つまり冬場でつのがついているのはメスしかいなくなるのだとか。動物学者の方が書いておられました。
 もうひとつ、英語ではレインディア、北米生息種はカリブーなのに、日本ではトナカイです。なぜ生息できない地域なのに日本名がついたのでしょう。今はロシア領になっている樺太に渡っていたアイヌの方がつけた名前が踏襲されたのです。つまり、トナカイはアイヌ語なのだそうです。
 聖書の舞台も亜熱帯地域なのでトナカイは存在しません。きっと北欧で祝うようになって登場した新アイテムなのでしょうね。
2020.12.15「GoTo」
 8割の人がやめたらいいと思っていた「GoTo」ですが、やっと一時停止になりました。今の菅総理を誕生させたのは俺だと言っている重鎮が、全国旅行業協会の会長なので、宣言したくてもできずにいたのかも知れません。つまり、「経済も大事」とか言っていても、国民のための判断ではなかったわけです。
 実は、マスコミなどもあるのですが、スポンサーがついていると発言力が鈍くなることがあります。民法テレビならばスポンサーがつかなければ経営が破綻しますので、視聴率をあげて、多くのスポンサーについてもらおうとします。「お願いします」「じゃあ、出してあげよう」との関係になると、そのスポンサーに不利になるようなことは言えません。「トヨタ」がスポンサーなのに、番組で「日産はいいですよ!」と言ったら、たちまち契約は破棄されます。NHKの受信料はそういった「忖度(そんたく)」が発生しないように、視聴者から聴取しているわけです。
 聖書に出てくる偽預言者など、自分の立場を守るために、神の言葉を曲げて、王のご機嫌取りをしたのですから、とんでもない話です。
 預言者ミカヤは、王の使いに「ほかの預言者たちが王にとって良いことを言っているので、あなたもそうしてくれ」と頼まれていますが、真実を言いました(歴代誌下18)。人を見ず、神を見ていたのです。
2020.12.08「はやぶさ2」
 「はやぶさ2」のカプセルが相模原に届けられました。「はやぶさ」の時もそうでしたが、相模原のJAXAが司令基地なので、市民としてはちょっと誇らしい気持ちになります。
 地球と火星の間にある小惑星リュウグウまで行って石を採取し、カプセルを分離させて地球に送り届けるミッションを完璧にこなしたわけですが、その飛行は6年、往復52億キロに及んだそうです。その間、はやぶさ2をコントロールしてきたスタッフも大変だったでしょう。報われましたね。
 送られてきた玉手箱、皆さんと同様、私も気になります。ガスも採取されたそうですし、これから石の分析が進めば、地球誕生の謎にも迫れます。
 これまでも、最新の科学によって真実が明らかになればなるほど、聖書の記述が証明されてきましたが、恐らく、このような探査を続けていくならば、何十年後かはわかりませんが、全世界の人が、当たり前のように「この宇宙は神さまが造った」と言って疑わない時代が来るでしょう。
 人間に理解ができないからと言って、それは偽りとは限りません。自分の知識の許容範囲を超えたら信じないという姿勢は改めるべきです。この世界には、人間の想像をはるかに超えた事象がいくつも存在します。それを人間がコントロールしようとするのはあまりにも愚かです。
2020.12.01「あしなが育英会」
 孤児院にいた少女に、ある日、毎日手紙を書くことを条件に奨学金を受け取る話が舞い込みました。匿名だったものの、その紳士の帰り際、傾いた夕陽を受けて、廊下に長い陰が見えたことから、少女はその支援者を「あしながおじさん」と呼ぶようになります。
 この『あしながおじさん』の作者ジーン・ウェブスター(1876~1916)は女性参政権運動などに積極的に取り組んだ人のようですが、この本を機に、福祉活動にも力を入れるようになったとのことでした。
 日本では「あしながおじさん」といえば、すぐに遺児支援団体が思い浮かびます。ところが、頼りの寄付が少なくなっている上に、このコロナ禍にあって、親の失業などで進学をあきらめなければならない子どもたちが増えているのだと、「あしなが育英会」の方が、窮状を訴えていました。
 私は、今年の初めからこの団体に定期的な寄付をしています。子どもたちにとって何よりも大事なのは教育です。進学意欲のある子どもたちが家庭の事情で進学を断念せざるを得ないような状況をなんとかしてあげたいと思います。
 良いサマリヤ人は、助け、介抱しただけではなく、ホテルに連れて行き、その代金を肩代わりし、さらにかかった分は自分が払うと言って立ち去っていきました(ルカ10章25節~)。主は「あなたも同じようにしなさい」と私たちに語っておられます。
2020.11.24「アドベント」
 アドベントを迎えました。今年は思いもかけないような日々を過ごすこととなりましたが、このような中にも、神さまは私たちに豊かな実りを与えてくださることを信じます。
 ご存じの通り、アドベントとは「待ち望む」との意味です。
 お正月の歌に、「もういくつ寝るとお正月」というフレーズがあります。1番はたこあげ、まこままわしと、男の子の遊び、2番はまりつきやはねつきですから、女の子向けですね。まったく見られなくなりました。お正月限定でのお楽しみを考えても、お年玉くらいしかありません。つまり、待ち望む対象だったものが、いつの間にか、待ち望まれていないものになっています。また、子どもたちはプレゼントをもらえるので、クリスマスを楽しみにしますが、どうでしょう。もらってすぐは喜びますが、1週間もしたらもうあきてしまい、隅に追いやられています。
 待ち望むという時、待ち望む対象が非常に重要です。時代と共に価値が変化するものであってはなりません。またせっかく待ち望んでも、すぐにあきるようなものでも困ります。
 私たちはクリスマスの喜びを待ち望み、味わうのです。それは私たちの心を十分に満たし、かつ、永遠に続く、価値あるものです。
2020.11.17「季節感」
 私はスケジュールに24節季72候を書き込んでいます。72候は5日ごとに気象の動きや動植物の変化を短い言葉で表しています。ちなみに、22日からは「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」、日の光が弱まってしまい、虹が見えなくなってくる頃になります。
 気象庁でも同様に、植物や動物を観察して、季節の遅れ進み具合や気候の変化を発信していました。例えば桜の開花はニュースでも盛んに取り上げますので誰もが耳にしていると思います。でも、それだけではなく、植物は桜をはじめ34種、動物は燕の初見やアブラゼミの初鳴きなど23種を観測していたのです。
 ところが、11月10日、気象庁から「来年1月より生物季節観測を見直す」との発表がありました。まず、対象の動物自体が見つけにくくなったこと、そして環境の変化によって、元来の季節を感じられなくなったというような説明でした。私も72候を見ながら、そのずれを感じていましたが、気象庁はもっと深刻だったんですね。
 各国が競って温暖化対策を打ち出していますが、実行されるのかどうか、心配です。
 「いちじくの枝が柔らかくなり、葉が出て来ると、夏の近いことがわかる」(マタイ24:32)と言われたイエスさまの言葉に、ずれが生じる?
2020.11.10「負けました」
 将棋で一番大切なのは、負けを自分で認めることです。非常につらく、悔しいことですが、自分で「負けました」と言わない限り、相手は駒を進めていき、やがて「王将」が取られます。それでもジタバタして「私は負けていない。相手がずるをしたんだ」と文句を言うようなら、物笑いになるだけでは済まされず、おそらく、将棋界から追放されてしまうでしょう。勝負を始めたわけですから、結果、負けたとしても、それを認めることが、負けた者の責任でもあります。トランプ氏にもその潔さを表してほしいものです。
 聖書の中にも、なかなか「負けました」と言わなかった人がいます。代表格は創世記に出てくるヤコブです。かなり我が強い人だったようで、その性格がもとで、たびたびトラブルがありました。
 ある深夜、ヤコブのもとに「ある男」が現れます。どのような会話があったのかはわかりませんが、ヤコブはその男と格闘することになりました。この格闘とは、殴り合いではなく、「組み合う」もので、レスリングをイメージされると良いでしょう。実は、その男は神の使いであり、神の前にひれ伏そうとしない、自分の自我の強さを教えていると思われます。
 自分が神のように振る舞ってはなりません。潔く、神の前に「負けました」と告白することにより、神は私たちに新しい道を開いてくださるのです。
2020.11.03「家畜盗難」
 次々と家畜が盗まれるという事件が発生していましたが、報道によると、どうも、ベトナム人グループが関与していたようです。日本人の感覚では、「豚を解体して売っていた?!」と驚いてしまうのですが、ベトナムでは生活の中で普通に行われているらしいですね。日本でも昔はどこでも鶏を飼っていて、卵を取るだけではなく、しめていたわけですから、そう考えると、理解もできます。コロナで働けなくなり、困窮した事情はわかりますが、盗みはいけません。
 聖書では豚は汚れた動物で、触ることも許されませんが、牛や羊と生活していたわけで、当然のようにただ乳を飲むだけ、犠牲に献げるためだけの役割ではありませんでした。例えば、大切なゲストが来た時には、必ずと言っていいほど、それらをさばいています。
 例えば、創世記18:7 で、アブラハムのところに3人の人が訪れます。アブラハムは神の使いであることを悟り、「牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選んで僕に渡した。僕は手早くそれを調理した」とあります。ベトナム人には見慣れた光景かも知れません。
 アブラハムは定住していなかったのですが、べつに困らなかったんです。食糧が自分で歩いていてくれるんですから。 
2020.10.27「駅名変更」
 今年開業した、「高輪ゲートウエイ」駅。近くにゲートボール場があるような駅名ですが、新駅なので受容できます。でも、名前が変わるとなると、思わぬ時に支障が出てくるものです。
 何年か前、ある方を訪問する際、最寄り駅が「富士吉田」であるとを疑わず、切符を買おうとしたのですが、ないんです。富士急行が廃線になったのかと思ったほどですが、調べましたら、なんと、いつの間にか「富士山」に駅名変更されていたのです。電車に乗りながらも、本当に「富士吉田に着くんだろうか」と不安を感じながら現地に向かったことを思い出します。
 私がよく乗った京浜急行も「県立大学」とか、「逗子・葉山」など、いつの間にか変わっていて、日頃乗っていないと戸惑います。このような場合、乗降客を伸ばしたい鉄道会社の思惑がありますが、そうでないこともあるようです。
 多磨墓地に隣接している「多磨」駅は、2001年まで「多磨墓地前」駅でした。墓地の参拝者のための駅だったからです。ところが、近くに中核の榊原記念病院が移転することになり、病院の患者が「墓地前」ではまずいという話しになり、現駅名になったということです。
 聖書には、登場人物の名前の意味がわざわざ説明されている箇所があります。理由があるので、ぜひ注目してみてください。
2020.10.20「終末時代3」
 いつ終わりが来るかわからない「終末時代」に生きる私たちは、どのように毎日を過ごせばいいのでしょうか。新約聖書の時代も、今と同様、いつ終わりが来るかわからない日々を過ごしていましたので、テサロニケ教会の信徒の中には終わりの日がすぐ来ると考え、何もしなくなる人が現れたようです。同じようなことをしたグループも多くありました。
 もうすぐ終わるから、「何もしない」でいいのでしょうか。聖書は、このような時代だからこそ、①神の恵みをいたずらに受けず、恵みを求め、味わい続けていく(コリント二6:2)、②私たちは神の栄光を表すために造られた作品であり、この時代にあって、神のすばらしさを証しする(エペソ2:10)、③具体的に、主イエスの救いを伝えて過ごす(マタイ28:19~20)。「全世界に宣べ伝えられ…それから最後が来る」から(マタイ24:14)、④完全なる救い(天)を待ち望みつつ過ごす(コリント二5:1、ヘブライ6:1)、⑤いつ再臨があってもいいように油断なく、きよいものとして過ごす(ペテロ二3:8~13)など、この時代にあって過ごすべきふさわしい姿勢を教えています。
 目標がない行動は、いつの間にか毎日の行動がいい加減になり、迷走し続けますが、「終わり」という目標、つまり「完成」を目指す者は、今をしっかりと生きることができるのです。
2020.10.13「終末時代2」
 「終末時代」は、キリストがお生まれになった時から始まり、キリストが再びこの地上にお出でになる、再臨といわれる時で終わります。
 ただ聖書にはキリストが生まれる時を指した「終わりの日」なのか、終末時代という一定期間を指した「終わりの日」なのか、はたまた再臨を指す「終わりの日」なのかは、その書物の全体の流れをつかんでいなければわかりませんので、注意が肝心です。
 さて、終末の時代が終わる日がいつ来るのかは一般の人たちにも関心があるところです。先日、『ノストラダムスの大予言』を著した五島勉さんが亡くなりました。3カ月で100万部が売れたそうですが、最も注目されたのが、1999年7月に人類が滅亡すると解釈された言葉でした。同様に、聖書を曲解した者たちが具体的な日を掲げ、自滅した例は枚挙にいとまがありません。
 「その日、その時は、誰も知らない。…ただ父だけがご存じである」(マタイによる福音書24:36)とあり、「終わり」を知っているのは、「終わり」を定められた神だけです。もし、「○月○日に再臨がある」などと言って惑わす者があれば、己を神とする者か偽預言者に他ならず、神の怒りを免れません。「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです」(ペトロの手紙二1:20)。
2020.10.06「終末時代1」
 米国福音派は「聖書根本主義者」であることを述べ、核戦争によってこの世が終わることを待望しているのだと申し上げました。
 そこで、では私たち「日本の福音派」は、どのような終末になると考えているのか、この際、わかりやすく整理してみようと思います。
 まず「『終末時代』とはいつをさすのか」です。
 聖書から見ていくと、①「キリストは…この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました」(ペトロ一1:20)とあり、また聖書の預言書など多数の聖句から、キリストがこの世に出現した時が、「終わりの時」だと言っています。②「終わりの日に…わが霊を注ぐ」(使徒2:17)とあり、聖霊が働いている時代であるとも言えます。③ヨハネ一2:18などから、苦難の時代である今が、「終わりの時」であると言えます。④さらに「私はその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6:54)とあり、いわゆるキリストが再びおいでになる再臨が、「終わりの日」であると言っています。
 時代とは一定期間を指す言葉です。このような聖句から、世の終わり、すなわち終末時代は「キリストの誕生」時に始まり、「キリストの再臨」で終わる期間を指していることがわかります。この期間は、聖霊が働かれ、教会が用いられる時代、また試みの時代でもあると聖書は言っています。
2020.09.29「米国の福音派5」
 30年ほど前、『核戦争を待望する人々-聖書根本主義派潜入記-』(朝日選書)という翻訳本が出版されました。さっそく読んで、「やはりな」と米国福音派のスタンスを確信できたレポートでした。
 キリストを殺したユダヤ人を憎んで当たり前の聖書根本主義者(米国福音派)が、彼らの建国したイスラエル共和国を支援しているのはなぜでしょうか。救いの完成である終末が来るためには、イスラエルの再興が条件だと思っているからです。
 これは、ローマの信徒への手紙11:26を文字通り「イスラエル国家」と解していることによります。ですから、イスラエル共和国が1948年に独立を宣言、翌年、国際連合に加盟が承認されたことは、彼らにとっては「聖書の預言の成就」以外の何ものでもありませんでした。
 次の段階が「ハルマゲドン」です。ヨハネ黙示録16:16を、この世の終わりに「神に選ばれた軍勢」と「異教徒の軍勢」がイスラエル北部のメギド山(ハル・メギド)で最終戦争をすると解しています。
 そして彼らは、ペトロの手紙二3:7、10などの記述から、最終戦争には核兵器が用いられると思い込んでおり、早く「ハルマゲドン」、核兵器を使った戦争が起こってほしいと願っているわけです。
 にわかに信じられないでしょうが、米国が核兵器を肯定しているのは、このような背景もあるのです。
2020.09.22「米国の福音派4」
 各マスコミで報道されているアメリカの福音派は、聖書根本主義者( ファンダメンタリスト)」です。
 先回も申し上げたように、聖書を神の言葉として信じてはいるものの、聖書全体からではなく、近視眼的にとらえてしまうので、聖書の本来のメッセージとは違う、間違った解釈をする場合が多く、しかも、それに固執し、それ以外のものはすべて「サタン」の働きであるかのような排他的な態度をとり続けるのです。
 皆さんも聖書を読んでわかるように、聖書にとって「イスラエル」は重要な言葉です。考えてみてください。もし、そのイスラエルがイスラエル民族を指すのであれば、日本人も含め、それ以外の民族は読む必要がなくなってしまいます。なぜ聖書が全世界のあらゆる国で読まれ、そして多くの者たちが信じているのでしょうか。それは、「イスラエル」がイスラエル民族を指す言葉ではないことを理解しているからです。
 聖書の主意は、「イスラエル」はたまたま選ばれただけで、重要なのは、「神から選ばれた民」がどのような扱いを受けるのかということなのです。ですから、救い主イエスが登場する新約聖書になってから、イスラエルではなく、主イエスを救い主として信じる群れ、教会が中心に展開していくわけです。イスラエルという国と聖書は無関係なのです。
2020.09.15「米国の福音派3」
 アメリカ大統領選の行方を左右するともされるアメリカの「福音派」は、日本では「聖書根本主義者(ファンダメンタリスト)」と言われる人たちです。
 外部から見ると、同じように聖書を神の言葉として信じていると思われるのですが、一番の違いは聖書の全体を見ているかどうかでしょう。
 30年ほど前になりますが、私のところに来たエホバの証人から、『それでも三位一体を信じるか』との題の小冊子を受け取りました。そこにはアメリカで最も権威ある辞書に「三位一体は不可解だ」と書いてあると引用されていました。そこで、図書館でその辞書を開いてみると、「『三位一体は不可解である』とされるが…」との文章の後に、「三位一体」の正当性が詳細に説明されており、キリスト教にとって欠かせない、大切な教理である」と結ばれていました。再度訪ねてきた彼らに、その他にあった同様の引用も含め指摘すると、黙ってしまいました。
 どんな文章でも、部分的にとらえると著者の主旨とは違う解釈が成り立ってしまいます。聖書も同様で、部分的に見てしまうと、突拍子もない解釈が可能になるのです。特に顕著なのは、イスラエルに関する解釈です。トランプが中東の外交成果を強調しているのは、彼らが、聖書に出てくるイスラエルを、現在の「イスラエル共和国」として受け取っているためだからなのです。
2020.09.08「米国の福音派2」
 9月2日朝日新聞は福音派について、「聖書の記述を忠実に解釈するキリスト教の保守派」とし、「親イスラエル」だと記していましたので、その部分を検証したいと思いますが、その前に私たちの理解する「福音派」を確認しておかなければなりません。
 まず「福音派」とは、「聖書は神の霊感によって書かれている、誤りない神の言葉」であると告白する群れです。これは当たり前だと思うかも知れませんが、実は、キリスト教会の中には「聖書を唯一の正典」としていても、「すべて」が神の言葉だと信じていない群れが存在します。得てしてこのような群れは、キリスト教的思想を伝えることに重点を置くため、社会問題などに積極的に関与する傾向がありますが、福音派の範疇からははずれます。
 聖書の言葉をそのまま信じる信仰によって、私たちは、そこに書かれている中心的なメッセージ、すなわち、主イエスによる救いの成就を理解することができ、同時に、この福音を伝えることが使命であると受け取るのです。その点で、アメリカの福音派とは変わりがないと言えなくはありません。
 ところが、「親イスラエル」を調べると、彼らは「イスラエルは神がユダヤ人に与えたと考え、ユダヤ人を祝福することで、神の祝福を得られる」と信じており、「聖書根本主義者」と呼ばれている人たちであることがわかってきます。(続く)
2020.09.02「米国の福音派」
 いよいよアメリカ大統領選が迫ってきました。現在、民主党のバイデン候補が有利とされていますが、共和党の現職トランプ大統領もイスラエルとUAEの国交正常化の成功をアピールするなど、懸命に民衆の支持を取り付けようとしています。
 そのような中、「トランプ大統領が『福音派』指導者20名ほどをトランプタワーに招き、『当選すれば、今まで通りホワイトハウスとの絶対的なアクセス権を与える』と伝えた」と報道されました。
 9月2日朝日新聞朝刊では福音派について、「米人口の25%とも推計される福音派は聖書の記述を忠実に解釈するキリスト教の保守派で、人工妊娠中絶や同性婚への反対、親イスラエルの姿勢などで知られる」と紹介されており、続けて「敬虔(けいけん)なキリスト教徒ではなく、離婚や不倫を重ねたトランプ氏とは本来、価値観が相いれないはずだ。だが、結果的には強力な支持基盤となった」とされています。
 ここから、私たち「福音派」と言われている日本のキリスト教会の立場と、日本の新聞が報道するアメリカの「福音派」との違いを読み解き、誤解を招かないように、もう一度、この欄で確認したいと思います。
 「福音派」とは何か。できるだけ要点をまとめて解説することにいたします。(続く)
2020.08.24「独裁」
 ベラルーシの選挙は誰が見ても不正があったことがわかります。その独裁者ルカシェンコを手なづけているのがロシアです。プーチン大統領もまた政敵の暗殺を支持して独裁を作り上げているのですから、昔のムッソリーニとヒトラーのように思えて仕方ありません。トランプが作ったわがままで傲慢な潮流が変わるのはいつになるのでしょうか。
 ナチス政権下にあったオーストリアを舞台にしたミュージカル映画をご存じでしょう。実話に基づいて制作された「サウンド・オブ・ミュージック」です。
 そのような緊張感の中におりこまれている清涼な音楽は秀逸でした。
 中でもやはり代表格はドレミの歌でしょう。日本では「ド・はドーナツのド」と普通に歌っていますが、あれ、違うの知っていましたか?私、高校生の時でしたが、ジュリー・アンドリュースが「ドーナッツ」って歌っていないのに気づいて、歌詞を取り寄せて調べたんですよ。そしたら、ぜんぜん違うことがわかったんです。そりゃそうですよ。英語に「ミ・はみんなのミ」なんて、あるはずないんですから。
 原詩を見ると手抜きがあるのも発見しました。「ラ」です。直訳すると、「ラはソの次よ」なんです。なんとかして「La」を見つけてほしかったですね。そこいくと、日本語は豊かなこと。ラッパのラだけでなく、いろいろありますからね。
2020.08.17「つながる」
 楽園モーリシャスの海を油だらけにしてしまったきっかけは、「WiFi」をつなごうとした船長の愚行でした。先日、私のLINEもすべてが解除され、みなさんにご迷惑をおかけしたので、つながることの大切さはよくわかります。何人もいない船内で、何日も航海していれば、陸と交信したいとの欲求は高まってくるでしょう。ただ、気持ちはわかりますが、その代償はあまりにも大き過ぎました。
 人間は「つながる」ことが大切です。多くの人と「つながる」ことで、多くの人から支えられていると感じることができます。ただ、それが逆に人間関係の悩みも発生させるわけです。
 聖書では、私たちがつながりの中心に置くのは神でなければならないことが書かれてあります。この関係がメインであれば、他のつながりでギスギスしたり、うまくいかなくなった時も、不安にはなりません。
 アブラハムは信仰の父と言われていますが、それは、自分の故郷での保証された暮らしや血縁の関係以上に、神との関係を最優先したからです。神とのつながりが生きていることによって、どこに行っても、またどんな状況に陥っても、彼は前を向いてぶれずに歩めました。
 誰ではなく、まず私たちのいのちを生かす、神さまとつながっていきましょう。
2020.08.10「三角数」
 聖書には意味のある数字と、こじつけのように解釈してはいけない数字とがあります。
 今週の「4つの種」の箇所で、子どもたちに、なぜ主イエスが成長の数値を「100倍、60倍、30倍」と表現されたのか解説しました。
 アブラハムがロトを取りなす場面で「5」「10」を区切りとしていたことがわかります。つまり、すでに十進法が使われていたのです。十進法はBC3000年頃にエジプトで使われ始めたようですし、もともとアブラハムはメソポタミア出身ですから、素養はあったかも知れません。そのような背景を踏まえた上で、たとえば、5倍、10倍、20倍とかではなく、なぜこの数字だったのか、興味を持ったのです。
 しばらく考えて思い浮かんだのが「三角数」でした。ボーリングのピンの並び、あれが三角数のイメージです。底辺が2であるなら、正三角形を作るために3つ必要になりますよね。同様に、底辺を3にするなら6つです。そして一辺が4になれば10です。3、6、10に根拠らしきものがあったわけです。
 三角数の「3」は聖書では神を示す数字であることが知られていますので、神が関与されてはじめて成長するのだという意味があるのかもしれません。「10」(倍)はしばし人間の生活に現れる完全さを示すので、神が保証した上で、人間に与える完全な結実、そのような受け取り方もできなくはないのです。
2020.08.03 「秋の雨」
 立秋が過ぎてから、猛暑がやってきました。本格的な夏が到来したと言えなくもないですが、立秋が過ぎれば、どんなに暑くても「盛夏」「暑中」ではなく、「残暑」となります。四季がはっきりしている日本ですが、温暖化の影響で節季もねじれてしまっています。
 聖書の舞台、パレスチナは4~10月頃まで「乾季」で、その終わりを告げるのが「先の雨」です。短い「雨季」ですが、乾燥しきった大地を潤すので、民たちは一斉に自分の畑を耕し、種をまくのです。冬に時々お湿りがあり、2月後半に実りを促進する雨が降ります。これが「後の雨(春の雨)」です(申命記11:14など)。ただ、決して「日本の秋」をイメージしてはいけません。ただ季節の移り変わりの名称だけで、情緒を感じるような概念はありません。
 主イエスが登場すると、「秋の雨」「春の雨」の受け取り方に変化が生じます。ヤコブの手紙5:7に「農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます」とありますが、前後を読むと、「主が来られる時まで忍耐しなさい」とのたとえとして、使われるようになります。
 つまり、主イエスの到来によって「秋の雨」が降ったが、再び主イエスが来られる「再臨(春の雨)」の収穫を待ち望みながら、忍耐して成長していこうとの勧めの言葉となるのです。
2020.07.27 「臨終洗礼」
 カトリックで「臨終洗礼」をしていると聞き、先日の「死者に洗礼を施してもらいたい」との問い合わせを思い出して、「ああそうか」と合点しました。私も初めて聞きましたので、近年、行いはじめたものでしょう。
 プロテスタントの秘蹟は洗礼と聖餐の2つですが、カトリックは7つを定めています。その中の「堅信」は、自分の意志で信仰告白し、受洗することですが、これは乳幼児の死亡率が高かった時代、親の意思で洗礼を受けさせ、永遠の命を保証した「幼児洗礼」が存在するからです。住民登録の代わりでもありましたが、聖書を根拠にしているとは言えず、人間の感情を優先した儀式であると言えます。
 今回の場合、死んだ方をお世話していたカトリック信者の要請に応じた司祭が、授洗するとの話を聞いたのですが、幼児洗礼ならまだしも、死者に洗礼など、曲解にもほどがあります。聖書より、人間が作り出した儀式を重視しているからでしょう。
 感情的には十分に理解できますが、聖書を無視するような行為は許されません。洗礼を受けた受けないではない、召された魂は主にお任せし、平安と慰めを祈るにとどめるべきです。
 イエス之御霊教団は「身代わり洗礼」といって、何十年も前に死んだ人に洗礼を施しています。今回の「臨終洗礼」に通じる異端行為です。
2020.07.21 「北前船」
 ヨナが活躍していた当時、「ヤッファに下ると、タルシシュ行きの船が見つかった」(1:3)と記述されているとおり、地中海にはいくつかの航路が開拓されていました。だいたいBC1200年頃から始まったとの説が主流ですが、ソロモン王の在位中(BC961~922)には貿易船が盛んに行き来していたことがわかりますので、300年の間で造船技術なども追いついてきたのでしょう。
 ソロモンは「タルシシュの船団がヒラムの船団と共にあった」(列王上10:22)とあって、海外貿易にも力を入れていたようです。特に、「タルシシュの船団」は3年に一度戻って来ていたのですが、貿易品を調べると、様々なところに寄港しながら商売をし、その土地のもの、またはそこで手に入れたものを積み込んでいたことがわかります。まさにイスラエル版の「北前船」です。
 タルシシュは金属を産出するスペイン南部の町だと言われており、そうだとすると地中海の出入り口ジブラルタル海峡付近。冬場はかなりの強風が吹くため、どこかで冬を越し、地中海をぐるっと回って商売をしていたのです。タルシシュの船団はツロが母港でしたが、実は、ソロモン、南の紅海に面したエツヨン・ゲベルを母港とした船団も編成していて、こっちはシェバ(イエメン)、アラビア、そしてインドへと向わせていたようです。
2020.07.14 「氾濫」
 奈良女子大の教授だった「清水氾(しみず・ひろむ)」先生は、KGK(キリスト者学生会)を熱心に指導されていたこともあり、何度か、話をうかがう機会がありました。
 ある時、自己紹介の中で、「時々『清水犯』と書いてくる失礼なやつがいる」とぼやいておられました。「氾」のツクリは「布をかぶせる」様子を表し、「犯」の場合はケモノヘン、これは通常、野犬を指すのですが、町に入ってきて危険だと思われた野犬に布をかぶせて捕まえる行為が「犯」、そこから、テリトリー、またはルールを犯す行為に用いられるようになりました。「氾」は水(サンズイ)がおおう様子です。清水先生の親は世をおおうようなひろい人物になってもらいたいと思ったんでしょうか。
 各地で豪雨災害の報道がなされていますが、この地域も例外ではありません。昨年10月にはあと何センチというところまで境川が増水していますので、心配です。
 水が集まって流れくだる様子はしばしば聖書に登場してきます。彼らにとっての「川」は、雨期だけに出現する自然現象であり、常に洪水を伴うものでした。圧倒的な力を持って迫ってくる流れに恐怖を覚えたはずです。ですから、聖書に出てくる「水」「川」の多くが、神への畏怖を生じるほどの偉大な力を表現する道具として用いられているのです。
2020.07.07 「賄賂」
 コロナ騒動の渦中にあって、うやむやにされそうになっているのが河井事件です。選挙に勝つために100人もの地元首長、議員にお金をばらまいていたのですから驚きです。河井議員はもちろんですが、私も含め、多くの人は、受け取ったすべての人が辞職すべきだと考えているでしょう。ところが、所属の自治体はまちまちでも100名の人がいっぺんにやめるとなると行政が立ちゆかなくなる。そこで、「すぐに返したわけだし、やめなくてもいいんじゃないの」との助けの声に後押しされるように、そのまま職務を続けようとしている人が多いのです。ここにきて集中豪雨被害にも目がいってしまい、世論の声は鈍いままです。しっかりと解決してもらいたいものです。
 口語訳では戒めを説いている中に「賄賂」が登場しますが(出23:8など)、ほかは「まいない」となっています。これは「おおいかくす」という意味ですが、隠すように密かに渡す「賄賂」の意味も持つようになったのでしょう。協会共同訳で調べてみると、わかりやすいように「賄賂」と訳されていました(申命記11:17、27:25など)。同じ語であっても、列王上15:19、箴言17:8などは「贈り物」としています。
 何千年も前から賄賂に気をつけるようにと言われているのですが、今も世界中で「贈り物」が交わされています。しっかり心を守っていきましょう。
2020.07.01 「第7の月」
 あっという間に、というか、もやもやしているうちに7月になりました。子どもたちは7月いっぱい学校で、夏休みは8月1日からの3週間に減りました。子どもたちはそれを聞いても「ふーん」てなもんで、何も反応しません。いいかげん休むのも疲れているんじゃないでしょうか。
 聖書に暦、月の名前が登場するのは、出エジプトの時です。この時から神の民は暦を意識するようになります。脱出する時を第1の月(アビブ・ニサン)と呼ぶように定められ、一年を12カ月に分けることが始まりまるわけですが、おそらくこれは、出エジプトを記念して行う過越の祭、また他の記念行事を守らせるため、さらには定住し、農耕生活を始めるための準備だったと思われます。
 その中で、私たちの感覚としてはなじめませんが、第7の月に「新年祭」を実行したのです(民数記29)。どうも「7」がかぎになっているように思います。神の前にあって、完全(7)なあがないを受け、新しく歩み始めるということかも知れません。ただ、新年よりも過越や仮庵のほうが重要な祭でしたので、その後の記述はあまり見られません。ちなみに第1の月は太陽暦で3~4月、第7の月は10月くらいになります。
 日々新たにされていく私たちにとっては、毎日が新年ですかね。
2020.06.22 「五月闇」
 ちょうど夏至にあたる21日、部分皆既日食がありましたが、曇って観測できませんでした。梅雨の時期は毎日がどんよりとしていて、気分も晴れない、なんて思っていませんか。
 「夏は来ぬ」の中に、「五月闇 蛍飛びかい」という歌詞が出てきます。梅雨の夜の暗さの中に、蛍の光が浮き上がるように見える幻想的な光景をよんでいますが、五月闇だからこそ蛍の存在感が増すわけで、これも日本の原風景のひとつではないでしょうか。この歌の歌詞は今から100年以上前に書かれていますから、残っている方がおかしいのかも知れませんが、少しずつ日本の遺産が失われていくようで悲しいですね。
 聖書の舞台となった中東の夜は湿気がないからかも知れませんが、はっきりとした、なんの情緒も感じられない闇が訪れます。それこそ「鼻をつままれてもわからない」闇です。私はエジプトのシナイ山でそれを体験しました。周囲何百キロも町の明かりが存在せず、加えて新月でしたので、途方もない闇の中、前に歩く人だけを頼りに山に登った記憶があります。それこそはぐれたら迷います。必死だったのですが、中腹くらいでしょうか。休憩をした場所で、ふと上を見上げると、まさに満天の星。アブラハムはすごい祝福をいただいたのだなあと、ただただ驚くばかりでした。
2020.06.15 「暑い日」
 暑くなってきました。日本は水分を多く含んだ太平洋高気圧の影響で湿度も高くなるため、その過酷さが世界で有名になっています。今年はマスク着用の機会も多くなりますので、ぜひ熱中症などにはご注意ください。
 聖書の舞台であるパレスチナは「暑い」との印象をもたれますが、エルサレムなどは雪が降ることがあるので、一様に暑いわけではありません。エルサレムあたりから北部は比較的雨が多い地中海性気候、気温変動もこのへんと同じぐらいです。砂漠が大半の南部は高温が続き、雨が降りません。一番の現地との違いは「乾燥」していることです。
 紅海に面するエイラトなどは40度は当たり前、シナイ半島に行けばもっと暑くなります。そんな過酷な中、旅したのですから、神の民たちも大変な思いをしたでしょう。ところが、だれも倒れなかったのです。詩編121編に「主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない」とあるのですが、ここにヒントがあります。
 日陰の恩恵があまりない日本と違い、40度を超える暑さでも、乾燥しているため日陰にはいると本当に涼しいのです。外国の人が苦戦するのはここにあります。神さまは、日陰を作るようにして民たちの健康を支えられたのです。
2020.06.08 「集まる」
 久しぶりに皆さんと礼拝をささげることができました。ただ、子どもたちにはもう1週だけ自宅待機をしてもらいます。ごめんなさい。
 対策として打ち出されているように、出席者については、検温、マスク着用、アルコール消毒をしていただいた上で、間隔を置いて座っていただきました。
 説教時に申し上げたのですが、今回、ビデオカメラに向かって語る「孤独の戦い」を味わったことで、あらためて説教の御用は、出席者の祈りに支えられているのだということがわかりました。皆さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
 ユダヤ教の会堂を「シナゴグ」と呼ぶのをご存じでしょうか。ギリシャ語に「スナ」がついていると、だいたい「集まる」系の言葉になります。
 国が滅び、外国へ強制移住させられた民たちは、神殿での礼拝ができなくなりました。そこで家庭集会のよう始まったのが「シナゴグ」、集会所です。成人男子10名が集まると、その中の一人が御言葉を読み、勧めの言葉を語り、また祈りをささげていました。主イエスの時代にも引き継がれていましたので、新約聖書にも時々会堂が登場します。主イエスがよく行かれたのはカファルナウム(口語訳カペナウム)にある会堂でした。
2020.06.01 「飢饉」
 バナナが品薄だそうです。主流のフィリピン産については、もともと天候不順で収穫量が減っていたのだそうですが、そのところにもってきて、コロナウイルス感染拡大の影響を受け、流通が滞り、南米産も入らなくなっているそうです。
 もともと日本の食料品は外国からの輸入に頼っています。もし、気候変動などによって世界規模の飢饉が起こった場合には、自国が苦しくなるのに輸出することはあり得ません。つい最近まで起こっていたように「マスク」の抱え込みなどが起こるわけです。アメリカなどはあからさまでしたよね。ですから、そうなったら、日本がいち早く食糧危機がおとずれるとされています。ですから、後継者の育成も含め、農業従事者が続けていけるような政策をとって、自給率を高めていく努力をしなければなりません。
 聖書に飢饉が初登場するのは創世記12章、アブラハムがカナンに入ってからです。アブラハム家がいたウルは水源が豊富で食糧も安定していたと思われますが、カナンではそうはいきません。しかもネゲブ(南)へと移動したあとです。小雨乾燥の気候帯で、たびたび飢饉が起こる地域です。一帯をみまわしても、家畜に食べさせる草もまともにありつけず、エジプトに下ることを決起せざるを得ませんでした。アブラハムにとって、飢饉を味わった最初の時だったかも知れません。
2020.05.25 「エコキュート」
 今の家を建てて早くも10年が経過しました。この「10年」が、土屋家に度々ピンチをもたらしています。最初は2年前の給湯器でした。お湯が出なくなり、とにかく結構はらって応急処置をしてもらいました。次にIHの調理台。これは全取っ替えでした。そしてテレビがだめになり、エアコンもいかれてしまいました。どの時も、販売の人が「10年ですからね」と、言うわけです。そして5月17日のこと。お風呂に入ろうとしたら、給湯器にたまっているはずのお湯がゼロです。驚いて外のエコキュートをのぞいてみると、お湯が漏れ続けています。あわてて水道栓をしめ、電源を切ったのですが、その晩からお湯なしの生活になってしまったのです。
 修理屋を呼んでもらちがあかず、結局、買い換えることになりました。早くても2週間と言われ、「どうするんだぁ」という状態になりました。業者が水道管を応急処置してくれて、今はなんとかお湯が使えますが、それまでの6日間、やかんでお湯を沸かしながら入浴する毎日でした。この状態で、工事まであと1週間は待たなければなりません。自粛中ですが、温泉に入りたくなってしまいます。
 ところで、聖書の中で、最初に温泉を発見した人、知っていますか。残念ながら協会共同訳では「泉」と訳されてしまったのですが、「アナ」という人です(創世記36:24)。調べてみてください。気持ちよかったろうな。
2020.05.18 「引っ越し」
 長男一家が茨城から相模原に引っ越してきました。これからは理事長の下、スカーラの働きを担ってもらいます。よろしくお願いいたします。
 『めぐみ』の特集でも取り上げましたが、アブラハムの引っ越しは、ただの移住ではなく、これからの人生をすべて神さまに委ねる決意表明としての行動でした。家財道具いっさいを全部まとめ、近所の人たちに「お世話になりました」とあいさつをすませた上で出発していたわけですが、その時、本人はもちろん、家族の誰ひとり、どこに行くのかわからなかったのですから、不思議な引っ越しです。
 私はヘブライ人への手紙11:8に記されている「アブラハムは…出て行くように召されたとき、これに従い、行く先を知らずに出て行きました」との御言葉に初めてふれた時、「かっこいいなあ」と思いました。確かに、冒険の要素はあるかも知れませんが、アブラハムは、この神さまなら間違いないとの確信を持って、出て行ったわけですし、神さまはそのとおりアブラハムを祝福されました。
 新聖歌に「うしろの橋をば 焼き捨てし今 十字架を担いて 進みに進まん」(400)とあります。私たちはそれまでの生活に心奪われることがあってはなりません。アブラハムはすべてを捨てて、これしかない、との決断をして「どこに行くのかわからない」引っ越し先に向かったのです。
2020.05.11 「強風」
 5月は強風の日が多くなります。昔、この付近は今ほど家が建っていませんから、うっかり窓を開けておくと、家中が砂まみれになったそうです。わが家の近くには広場や畑が残っていますので、必ず閉めておくようにと念を押しています。強い時には家が揺れるほどですが、ビルの間を抜ける時などは前に進むことができない日もあります。先日は、自転車が押し戻される経験をし、冷や汗をかきました。
 聖書の舞台となったパレスチナは所々にオアシスはあるものの、基本的に荒野です。ほとんどの山は赤茶けており、平地も雑草さえありません。
 私がイスラエル旅行に行った時、ダビデが羊を飼っていたであろう場所に行きましたが、お世辞にも「おー牧場はみどり~」などと歌えるような場所ではありませんでした。ちょこちょこ草が生えている程度です。ところが、ダビデはそこで「緑豊かな場所に私たちを導いてくれる」と喜んでいたのですから、日本とは格段に環境が違うことがわかります。
 そんなところに強い風が吹いたら、小石が混ざる砂嵐になります。目も開けられないし、息もできません。隠れる場所もないので、うつ伏せになるしかありませんでした。 神は嵐の中からヨブに語られました。高ぶりを指摘されたヨブは、心身共にへりくだるしかない状況に追い詰められたわけです(38:140:6)
2020.05.04 「動画」
 5月10日からYouTubeを利用しての礼拝に切り替えさせていただきます。おそらくこのような機会がなければ、礼拝の様子を録画し、みなさんのご自宅で見ていただくことなど考えなかったでしょう。当初から、何人かの方に、「動画にしたらどうか」と提案されていたものの、正直、恥ずかしいですし、「土屋の顔しか出ないのに、みんなあきちゃうよ」とか言っておりましたが、決断をいたしました。
 なれるため、また手順を確認するために「予告」の動画を作ったのですが、再生回数を見てびっくりしました。3日間で100回を超えているんです。おそらく皆さんがご家族やお友達に通知くださっているからでしょう。よい伝道の機会にもなっているのだと、あらためて神さまのなされることはいつもすごいなあと思った次第です。
 チャンネル登録をすると、いつでも過去の動画を見ることができますので、ぜひお願いします。
 神さまはメッセージを発信する際、言葉を預ける人物を選び、その人に神の言葉を語りました。そしてそれを忠実に語ったのが「預言者」です。時折、神さまが「映像」を見せ、それを語るように指示されることがありますが、それを「幻」「黙示」と言います。ぼんやりしているのではなく、はっきりと神さまの御心を知ることができたはずです。
 動画も用いられることを信じます。
2020.04.20 「ストレス」
 定期的に皮膚科にかかっていて、先日、覚悟を決めて相模原協同病院に向かいました。病院の入口では消毒だけではなく、すべての人を対象に検温があります。耳式体温計だったのですが、最初に計ってもらった時、「あれ?」と言われてもう一度試されました。そして、その後、「ちょっとこちらにきてくださいますか」と言うんですよ。「なんかまずいことになったか」とヒヤヒヤしたのですが、「ちょっと数値が出てこないので、こちらでお願いします」と普通の体温計を渡され、「なんだよ、驚かすなよ!」でした。でも、協同病院は感染者が出た病院ですし、中核病院なので来院者数も多く、待っている時間の長いこと長いこと。でも、私がそこにいたのは1時間程度、それでもストレスを感じましたから、医療従事者の方のストレスは相当だろうなと思いました。病気と直接戦っておられる多くの医療関係者の方々のために、さらに深く祈らせていただきます。
 感染者の多いイタリアで、病院の要請を受けた日本人バイオリニストがその屋上で演奏をしたとの記事を見ました。多くの方々が慰めを受けたでしょう。
 サウルがどのような病気だったかははっきりわかりませんが、たて琴の上手だった少年ダビデが呼ばれます(サムエル上16:17~)。サウルは大いにいやされたとありました。クリスチャンのストレス解消は祈り、そして賛美ですね。
2020.04.13 「復活2」
 主イエスさまは、私たちを救うためにこの世においでくださったお方です。覚えておいていただきたいのは、「救い」というのは、そのご生涯、つまり「降誕」「十字架」「復活・昇天」「聖霊降臨」、最後の「再臨」すべてが含まれているもので、何か一つでも欠けてはかけるならば、成り立ちません。
 生涯と申し上げましたが、イエスさまは神さまですから、もちろん寿命はなく、永遠の御方です。ただ、区切りごとに「姿」を変えておられるので、時々誤解をされてしまいます。そのつど、深いご目的をもって、「その姿」で接してくださいます。
 人間のあがないのために、約30年に限って肉体をお持ちになっています。そして死なれた後、復活されました。その復活されたことを人々に示すために、「復活体」というべきお姿で40日間を過ごされています。「苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(使徒1:3)とあるように、肉体をもって宣教された時と変わらず、神の国について宣べ伝えておられました。ただ違ったのは「肉体」でなく「復活体」であったことだけです。復活体だったのは復活されたことを示すためでもありました。
 人間には疑いの心がわいてきます。だから、復活したのだという事実を確認させるためのお姿で現れてくださったのでした。
2020.04.06 「復活」
 私は「よみがえり」という言葉にこだわりがあります(ほかにもあるのですが)。ワープロで変換すると、「蘇る」と「甦る」が出てきますね。
 教案誌などを長く編集してきたので、他の牧師たちの原稿に多くふれてきたのですが、「わかって使っているのか」と疑いたくなるようなことも多く、「預言者」が「予言者」になっていたりすると、ほんとうにがっかりしたものです。
 「蘇」は取りたての「魚」や「稲穂」を「艸」に並べて売っていると、時々ピンピン跳ねたので、その様子から「息を吹き返す」との意味を持つようになりました。「蘇生」がそうです。「甦」は「更生」を一字にした漢字で、「新しくやり直す」ことを含んでいます。つまり、死んだような人生に転機があり、新しい人生をやり直すことができた時に、「甦る」を使えるでしょう。
 しかし、キリストは完全に死んだのですから、蘇ったのではありません。もちろん、人生をやり直したのでもないわけですから、この2つの漢字を使うのは不適当なのです。
 聖書で、なぜ完全に死んだことを繰り返し記しているのかわかりますか。それは「蘇生ではない」ことを示すためです。
 ざっと見ただけですが、協会共同訳は「よみがえり」ではなく、「復活」に統一しているようです。これならすっきりします。
 「ハレルヤ!主のご復活を感謝します」。
2020.03.30 「聖書再発見」
 コロナ騒ぎの中、新年度に入ります。新入生も保護者も喜び半分、いや不安の方が大きいのではないかと思います。しかし、いつまでも動揺を引きずるのではなく、神さまの守りを信じ、心機一転、新しい気持ちで臨んでいきたいと思います。
 タイミング良く、この4月から公用聖書を長年使ってきた口語訳聖書から聖書協会共同訳に替えることになりました。この機会に新しい訳を味わいながら、新しい発見をしていき、大いに恵まれたいと思います。週報も今週からすべて協会共同訳にいたします。「ヘブル人への手紙」が「ヘブライ人への手紙」、「詩篇」が「詩編」となっているのにお気づきになるはずです。書名、人名なども含め、なれるまでは違和感があるでしょうが、聖書本文の内容が変わったわけではありません。逆に意味がとおりやすい文章になっていますので、早くなじめるようにいたしましょう。
 ユダ王国の末期に登場したヨシヤ王はまっすぐな信仰の持ち主でした。彼を支えた預言者ゼパニヤらの存在も大きかったのですが、何よりも「律法の書」の発見が彼の宗教改革の推進力になりました(列王記下22:8~)。この聖書再発見により、彼の信仰もさらに深まっていったのです(同23:25)。私たちも神の御言葉のすばらしさを再発見し、ヨシヤのような信仰姿勢を持たせていただきましょう。
2020.03.23 「紫」
 スカイツリーが通常のライトアップで使っているのは「粋」の青と「雅」の紫で、この紫は「江戸紫」が採用されていると聞きました。私が好きな色は、このような古代紫です。日本の場合、草木で染めていく中で出せるようになったと思いますが、それだけに希少価値が高く、高貴な身分の人しか身につけられなくなってしまいます。ですから紫が最高位を表すシンボルカラーになっていくのです。
 考えてみると、世界の国旗で「紫」を使っている国がない!ですね。日本同様、染料が作りづらかったからです。
 さて、イエスさまは十字架にかけられる際、ローマ兵から外套を着せられています。マタイでは「赤い外套」ですが、マルコでは「紫の衣」(15:17)、ヨハネも「紫の上着」(19:2)となっています。どっちでしょう。実はこの時代、「アッキ貝」から染料を取っていました。ごく微量しか取れませんが、染めると紫紺系ではなく、赤紫に染まるのです。ですから、「赤」とも「紫」とも形容できたわけです。では、貴重な染料をふんだんに使って染めた着物をだれが持っていたのでしょうか。よく読んでみると、ヘロデが「はなやかな着物を着せて」おり、ヘロデ王の持ち物だったと考えれば、合点がいきます。
 主はイバラの冠をもかぶらされ、「王様!」ともてあそばれながら、十字架に進んでいかれたのでした。
2020.03.16 「春分」
 春分を日本のように休日にして祝う国も少なくないようです。キリスト教会では春分を直接祝いませんが、この日、正確には3月21日を基点としてイースターを決めるので、重要な日といえます。
 これは325年に開かれた「第1ニカイア公会議」で決められたのですが、この時に使っていたのが、1年を365.25日とするユリウス暦でした。今はより正確なグレゴリオ暦が使われているため、3月20日だったり、21日だったりするのですが、イースターの算出の場合には、この時に決められた3月21日に固定することになっています。イースターはその日を過ぎてから、満月を迎えた後に来る日曜日としているので、その年の満月の日によって1カ月近く違ってくるわけです。
 「なぜ春分なのか」ですが、主イエスが十字架にかかったのはユダヤで祝われていた過越祭の時でした。この過越が起こったのはニサンの月(正月)15日(出エジプト12:18)でして、これが春分の日あたりだったのです。主イエスの時代には満月の日にしていたので、それをBC45年から採用されていたユリウス暦にあてはめ、基点をニサンの月15日から、春分にして、満月を過ぎた日曜日を復活日として祝うように定めたのです。ですから、ユダヤ教で過越(ペサハ)を祝う時、キリスト教では受難週となることが多いのです。
2020.03.09 「かぶと」
 兜(かぶと)は古墳時代から存在しています。今でいう野球帽のような形でしたが、鎌倉時代以降、特に戦国時代に入り、はでな装飾をつけるようになったので、兜=戦国時代のイメージがあります。
 当然、武具ですから、存在していれば、戦いの場面に登場するはずですが、イスラエルが建国する以前には出てきません。最初に出てくるのは、ダビデとゴリアテの戦いの場面です。
 ゴリアテは青銅のかぶとをかぶって、イスラエルの前に出てきました(サム上17:5)。ペリシテ人には製鉄技術がありましたが、さすがに鉄製は重すぎたのかも知れません。対するダビデも最初は青銅のかぶとをつけるように進言されるものの、重かったために何もつけずにゴリアテの前に出て行きました。ということは、もうすでにこの時には青銅製のかぶとが出回っていたことになります。
 ヨシュアの占領時にはかぶとが出てきませんが、頭部を保護する防具は身につけていたような気がします。ギリシャ神話に出てくるヘラクレスが毛皮をかぶって戦ったとあるので、皮製だったかも知れません。
 エペソの手紙では、「救いのかぶと」(6:17)、テサロニケの手紙では「救いの望みのかぶと」(一5:8)とあります。私たちは「救い」をかぶってサタンの攻撃に立ち向かい、勝たせていただきましょう。
2020.03.03 「リース」
 車検の際に、リース契約をして新車に乗らないかと勧められました。自分の車ではなく、借りて乗るとなると、傷の心配をしたりして、ストレスを感じるのではないかと思い、迷っています。
 貸し借りは昔から自然に発生してきたと思います。聖書でも、モーセが語った神の律法に「家畜を借りて、それが傷つき、または死ぬ場合…必ずこれを償わなければならない」(出22:14)と、貸し借りについての条項があります。
 家畜だけではなく、農具なども貸し借りをしていたことがわかる箇所があります。「ひとりが材木を切り倒しているとき、おのの頭が水の中に落ちたので、彼は叫んで言った。『ああ、わが主よ、これは借りたものです』」(列王紀下6:5)。借りたおのの頭が振りかざした時にスポーンと抜けて、池の中に落ちてしまいました。弁償するには高価すぎたので、その人はあせってしまうのですが、でも、この人はその時、エリシャの指導で、預言者学校の寮を造っていたときでして、そばにいたエリシャにすぐに助けを求めることができ、おかげで、おのの頭は水の中から引き上げられ、事なきを得ています。
 新約聖書では、パウロが家を借りています。「パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで」(使徒28:30)とあるので、賃貸する行為があったわけです。ローマのことですから、不動産業も盛んだったのではないでしょうか。
2020.02.24 「スギ」
 新型コロナウィルスの陰に隠れて、スギ花粉はあまり話題にもならず、季節も終盤に入りました。
 ご存知のように、花粉アレルギーはスギだけではありません。私など春、夏、秋と違う花粉に反応するので、抗アレルギー薬は欠かせません。幸い、軽減されており、日常生活にはさほど支障なく過ごせています。
 聖書で最初に出てくるスギは、ノアの箱舟の建材だった「いとすぎ」です(創世記6:17~)。クリスマスツリーによく使われています。このいとすぎのほかにもうひとつ、エルサレムの神殿を造る際にも用いられ、聖書によく出てくるスギはレバノン杉、また香柏とも呼ばれています(列王紀上5:6など)。スギ?柏?いえ。実はマツの種類に分類されるそうです。
 いとすぎはヒノキ科イトスギ属で正真正銘のスギ。しかし、レバノン杉はマツ科ヒマラヤスギ属なのだそうです。良質な木材だったので建築、造船に重宝され、地元に莫大な富をもたらすのですが、伐採するだけで、植林しなかったために気づいたら絶滅寸前になってしまいます。これは大変と、わずかに残っている一帯を保存林とし、保護してきた結果、1998年、世界遺産に登録されました。場所はレバノン。レバノンの国旗を調べてみてください。中央に描かれているのがレバノン杉です。
2020.02.17 「入国審査」
 コロナウィルスも、相模原中央病院の医療従事者に感染したことがわかり、対岸の火事ではなくなりました。地元の病院ですから、通院していた人、そしてその家族と、どのようなかたちで感染していくか想像できません。お互い、人混みに出る際にはマスクをつけるなどし、万全を期したいと思います。
 すでに中国からの入国は制限され、入国審査が厳しくなっていますが、外国に入国する場合は、自分の国籍を明らかにし、許可を受けて入国することになります。
 ヨシュアが新指導者になったイスラエルは、それぞれの部族に割り当てられた領地をとっていきました。神さまから、そこにいる民たちはイスラエルがエジプトに行っている隙に住み着いてしまった人たちだから、滅ぼすようにと命じられていましたので、それを実行していきます。その勢いは住み着いていた民たちには脅威だったに違いありません。同盟を組んで戦おうとする民たちもいましたが、その中のギベオンに住んでいた民は、土着の民であることを隠し、わざと古びたかっこうをし、遠方からやってきた漂流民を装ってヨシュアの前に現れました。まんまとだまされたヨシュアは、居留の許可を与えてしまいます(ヨシュア9:3~)。
 ゴーン元会長もそうでしたが、出入国審査は、しっかりやってもらいたいですね。
2020.02.10 「感染」
 コロナウィルスの猛威はとどまるどころを知らず、オリンピックまでに終息宣言が出るだろうかとの心配もされています。先日ドラッグストアに行くと、マスクのコーナーだけ、ぽっかりとあいていました。この近所もパニックになっているようです。症状が出ない感染者がいることも防疫を難しくしている要因でしょうが、もはやパンデミック状態です。
 この「パンデミック」という語は、「パン(すべて)」+「デモス(人々)」=パンデミアとのギリシャ語から来ているので、今回、聖書のどこかにあるのではと、検索しましたが、見つかりませんでした。というのも、最初に思い当たったのが、「この男は、疫病のような人間で、世界中で騒ぎを起こしている」(使徒行伝24:5)とのパウロに対する非難の言葉だったからです。
 パウロの世界宣教で爆発的に信者が増えた結果、いわゆるユダヤ教の存続が危ぶまれる状態になりました。そこでユダヤ人大祭司アナニヤがローマ総督ペリクスに訴え、パウロを押さえ込んで撲滅を図ろうとします。しかし、時すでに遅し。もはやパンデミック、あらゆる人々に次から次へと福音が伝えられており、抑えることはできなくなっていました。
 ウィルスは押さえ込まなければなりませんが、人々を救う主イエスの福音については、さらにくまなく広がるよう祈らせていただきましょう。
2020.02.03 「議員」
 昨日、教会総会がありました。議論の場ではありません。教会がどのような活動を行ってきたかの報告をし、主が私たちの群れになしてくださったみわざを思い、感謝をささげる時あり、教会の運営に関する詳細な話し合いや決定はこの場ではなく、代表役員の牧師と教会員の互選で選ばれた6人の責任役員が担います。そのようにしなければ、刻々と変わる状況変化に対応できませんし、拘束時間も大幅に長くなってしまい、効率が良くありません。
 よく国会で聞かれる「民意」は、ひとりひとりの意見を集約したわけでなく、「国民が選んだ議員」に託されているわけで、だからこそ、いいかげんに選んではいけません。教会も組織です。パウロは弟子たちに対し、どのように運営していけば良いのかアドバイスをしており、特にその当時にあった「監督」「長老」「執事」といった役職を選ぶ際、よくその人物を吟味するように勧めています。
 そこで最も大切な資質として挙げられているのが、自分の信仰が、自分の家や周囲で歓迎されているかどうかです。口先だけでいろいろ言う事はできますが、それを自分が実行していなければ話になりません。「自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか」(テモテ第一3:5)とありますが、問題を起こしている議員に教えてあげたいですね。
2020.01.27 「イチゴ」
 イチゴ狩りが各地で始まりました。この付近ですと厚木にあるのですが、ここは小規模なため、土日で取り尽くされ、金曜日あたりにならないと再開できないようです。一度、子どもたちが小さい時に、月曜日に行ってがっかりしているので、以来、私たちは小田原厚木道路の平塚インター近くにある「湘南イチゴ狩りセンター」を利用しています。圏央道を使うと30分ほどでつきます。練乳も無制限で使えるので、おすすめです。
 聖書にイチゴ、またはそれらしき食べ物を捜したのですが、残念ながら見つかりませんでした。欽定訳聖書を調べると、「mulberry」、つまり桑の実と訳されている箇所がありました。口語訳では、マツ科に属する「バルサムの木」(サム下5:23、歴代上14:14)と訳されていますので、ますます混乱してきますが、翻訳者の見解の違いです。ついでにもう一カ所、ルカ福音書17:5にでてくるマルベリー、こちらは「桑の木」と訳されています。 桑は「クワ科」、イチゴは「バラ科」なので、やはり「イチゴ」とは言えませんかね。
 すでに古代ローマ帝国時代はイチゴが栽培されていたようですし、マリヤがイチゴ好きだったとの伝説も残っています。食べていたはずなのですが。ちなみに、今のような甘さはなかったので、「薬」でもあったと言われています。
2020.01.20 「梅」
 昨日、水戸に行ってきました。 水戸と言えば偕楽園、偕楽園と言えば梅林です。こちらではつぼみも見受けられたので、少し期待をしたのですが、車窓から見える範囲では、まだまだでした。
 ご存じのように梅は冬を越してまっさきに花を咲かせるため、「春告げ草」などと呼ばれることがあります。この梅、バラ科サクラ属の木なのですが、聖書にはこの「梅」と親戚になる木がよく登場してきます。「あめんどう」です。聞き慣れないのですが、「アーモンド」と言えば、すぐにわかるでしょう。このアーモンドがバラ科サクラ属なのです。
 聖書の舞台となっているパレスチナは日本のように四季がはっきりしていないのですが、冬を越えてから最初に花を咲かすのが、あめんどう。梅が咲く感覚なので、自然、受け取り方も日本と同様で、「先見( さきみ) の花」と呼ばれます。将来起こる出来事を先に見ているようだと受け取り、神さまからの言葉を先に聞いて語る預言者に結びつけられます。
 預言者エレミヤが預言者に召し出される時、「『エレミヤよ、あなたは何を見るか』。わたしは答えた、『あめんどうの枝を見ます』。主はわたしに言われた、『あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ』」(1:12) とのくだりがあります。
 梅を見ながら、来る春の暖かさを期待しましょう。
2020.01.13 「IR」
 国が法案まで作り、推し進める「IR」事業、簡単に言えば「いろいろな施設が一緒なっている娯楽地区」が、今、問題になっているのは、ショッピングモールや劇場ならまだしも、そこにカジノ設置が含まれているからなのです。安倍氏率いる自民党、創価学会が支持母体である公明党が強引に法案を通し、「カジノ」という違法賭博行為を「観光」の名目で合法化した。だから、横浜をはじめ、いくつかの自治体が賭博場を開きたいために誘致合戦を繰り広げているわけです。どれだけギャンブルが不幸を生み出しているのか、犯罪の引き金になっているのか、お金に目がくらんでしまった亡者たちには、そんなことを考える頭はありません。
 安倍自民党の、簡便な手段で経済数値だけを上げようとするもくろみと、公明党の目先だけを追うご利益主義が一致し、動き出しましたが、収賄事件が発生するなどし、現実にやる前から破綻が見え隠れし始めています。
 主イエスはそのような姿勢をたとえ戒めています。「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は『倉を取りこわし、もっと大きいのを建てよう。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』と言った。すると神が彼に言われた『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られる』」(ルカによる福音書12)。
 本当に大切なものを見極めてください。
2020.01.06 「けんかを売る」
 なぜトランプ大統領はこうも敵を作りたがるのでしょうか。
 サウル王から命を狙われ逃避行を続けていたダビデがパランの荒野にいた時のこと、600人ほどでしたがダビデを慕ってついてきていたけらいもいたので、彼らのためにも食料がほしかったダビデは、その土地の有力者ナバルという人物に提供を依頼しました。実は、この付近はいわゆる山賊などもおり、ダビデはことあるごとに外敵を追い払っていたので、決して厚かましい申し出ではなかったのですが、ナバルは偏屈な人で、「なに?ダビデ?そんなやつは知らねえよ(本当は助けてもらっているので、よく知っています)。だれが食いものなんかわけてやるか」、そうののしったのでした。
 ナバルの妻が機転を利かせてダビデ一行に食料提供しなければ、殺されるところでしたが、結局、彼はその出来事の10日ばかり後、死んでしまいます。
 なぜ彼は裕福なのにわずかな食料援助もせず、ダビデたちを怒らせたのでしょうか。それは自分のことしか考えていなかったからです。
 トランプ氏も同じです。「自分が有利になることだけ考えていればよい、その結果他人がどうなろうと知ったことじゃない」。そのような考え方が世界中にひろがっています。そして、私たちの身近にも起こっています。「ナバル(『おろかもの』との意味)」のような行為は、破滅しか招かないことを肝に銘じるべきです。
2020.01.01 「期待」
新年、おめでとうございます。今年も大いに神さまに期待しましょう。
 今年は私の家庭もそうなのですが、教会にもまた大きな変化がもたらされる年となります。こうした時に、大局を見ることは大切です。
 自分の固定観念にとらわれて、神さまが与えてくださったチャンスをみすみす失ってしまうことのないようにしたいと思います。
 そのためには、大きなビジョンを描いておくべきです。私はいつも驚いているのですが、神さまは私たちが忘れているような願いさえも心にとどめていてくださり、それを成就させてくださいます。もちろん、そのプロセスにおいて自分の思い描いていたような状況に陥ることもしばしばありますが、それは決して障害などではなく、必要不可欠な場面なのです。
 聖書にはたびたびそのような場面が記されています。主イエスが生まれつき目の見えない人の目をいやした時、神さまがこの人を通して栄光を表すために、目が不自由だったのだと言われています。マイナスな部分や失敗、さらには試練などを受けとめることは容易ではありませんが、そこに神さまが栄光を表してくださるためであるとするならば、その状態が「苦しみ」ではなく「期待」に変わっていくはずです。