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「神は…被造物を通してはっきりと認められる」
        (新約聖書ローマの信徒への手紙第1章20節)

風は見えないが

  •  春になると風の強い日が増えます。うっかり窓などを開けっぱなしにしておくと、家中がじゃりじゃりしてしまいますので、5月のメイストーム時期までは注意が必要です。

     さて、「風」は「凡」と「虫」で構成されている漢字です。風を受けて「はらむ」「ひろがる」との意味をもつ「凡」と、昆虫ではなくヘビの形から成立した「虫」、いわゆる生命エネルギーを表した部首を組み合わせてできています。
     有名な風神雷神図屏風に描かれている「風神」をイメージされたらよいかも知れませんね。
     私は俵屋宗達の作品を所蔵先の京都の建仁寺、また東京国立博物館の特別展で間近に見たことがありますが、その迫力に圧倒されました。尾形光琳や酒井抱一が模写したくなるのも無理はありません。そのような現代に残された壁画や仏像、美術工芸品などからも、人は風を生き物として見ていたことがわかります。

     「見えない神さまを信じることはできません」。もしそのような疑問をお持ちなら、考えていただきたいと思います。
     「風は見えないのに、風の存在を疑う人はいませんが、なぜですか」。強く吹けば吹くほどその存在感は増してきます。砂ぼこりが舞う中で、風の存在を否定し、信じないと言えば、小さな子どもまでが「吹いているでしょ」と反論するはずです。

     「神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物(造られたもの)を通してはっきりと認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」(ローマの信徒への手紙1:20~21)
     神を否定している人たちに向けた聖書の言葉です。

     神は見えません。しかし、神が見えたならば、それは神ではありません。時が経つうちに朽ち、やがてなくなるからです。
     被造物、つまり天地万物を造られたのは神です。「そうではない」と否定できる証拠は何一つありません。
     ある写真家が冬山に登り、朝焼けの、その一瞬を撮るためにレンズを覗き続けていました。自然の中に身を置き、太陽が輝き出すまでの光景を眺めながら彼は、「神はいる」。そう確信したそうです。
     また、人間のからだがどれだけ精巧に造られているのか、お気づきだと思います。驚くほど、様々な機能を兼ね備えています。
     さらに、人にしか備わっていない「心」の存在。「生きる目的は何だ」と悩みながら生きているものは人間以外はいません。
     それらこそ、私たちが花が舞い散るのを見て、見えない風を感じるのと同じように、見えない神の存在を示す証拠ではないでしょうか。

     神を認めない生き方は、神と心がつながっていないことによって空しくなり、暗くなっていくのだとあります。
     外に出て、風を感じられるとよいでしょう。
     美しく変わりゆく自然を見られたらよいでしょう。
     そして、謙虚になって、自分自身を見つめられるとよいでしょう。