ようこそ

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、
よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について」
                 (ヨハネの第一の手紙第1章1節)

クリスマスを祝う

  •  イエスがこの地上に存在した事実を否定する方がおられますが、これは愚かしいことです。
     この時期、全世界でイエス・キリストがこの地上に生まれたことを「クリスマス」と呼んで祝わっていますが、ただ騒ぐだけのイベントだったなら、とうの昔に消滅していたはずです。なぜ2000年もすたれず残ったのでしょう。

     イエスの弟子のヨハネが、「ヨハネの第一の手紙」を書いた当時、「イエスはこの世に存在しなかった」との思想がひろまり、多くの人を混乱させていました。そのためヨハネは、間違った考え方に気をつけるようにと警告し、同時に、イエス・キリストがどのような方であるか、そして、イエスが成し遂げた救いがどのようなものであるかを記して、諸教会に送ったのです。
     
     この手紙の冒頭に、ヨハネが伝えたかった「イエス」が凝縮して記されています。
     「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」(ヨハネの第一の手紙1:1)です。
     
     ヨハネはまず、イエスは「初めからあったもの」であると言っています。これは天地創造以前から存在していたことを意味しているわけで、当然、それは神であることを指しています。
     主イエスは、神であられます。私たちを造ってくださったからこそ、私たちの心が壊れてもなおすことがおできになります。私たちに責任を持ってくださっている造り主です。

     次に、イエスは「聞いたもの」であるとあります。旧約聖書はその全編を通し、「あなたに救いがもたらされる」と示しています。「聞いたもの」とは、そこで語られ「聞いて」待望してきた救い主はイエスであるという意味です。
     「幸せはどこにあるのか、山の向こうかな」とヘッセが言いましたが、世に苦しみはつきません。だからこそ、人間は救いや助けを切望し、さまざまな対象を作り上げたのですが、本当の幸福をつかめませんでした。その真の救い、助けをなしとげてくださる方が主イエスです。

     3番目です。「目で見たもの」。これは愛弟子と言われたヨハネが自分自身がイエス・キリストがなされたみわざを見てきたと証言している言葉です。
     それぞれのクリスチャンたちは主を信じ、新しい生き方をしています。人を造りかえることがおできになるのは文字通り神業です。そのことを体験したクリスチャンは数知れません。その人たちが、主イエスが生きていることを証明しているのです。私も堕落した生活からイエスによって180度人生が変えられた一人です。

     最後に「よく見て手でさわったもの」とあります。もちろんヨハネは多くの時間を共に過ごした弟子ですから、イエスにふれ、またふれていただいたことでしょうが、特に、これはヨハネが十字架を仰いだその時のことを言っているのだと思われます。
     人の罪はあがない(命を代償にする)なしには消えません。そのため、神でありながら、私たちのために人となってこの地上においでになり、罪をもつ私たちの身代わりに十字架にかかって肉をさき、血を流してくださったのが主イエスです。ヨハネは、その十字架のわざを私は目撃したのだと強調し、流れくだる血にふれたと表現しているのです。人の罪をきよる方法は、このイエスの十字架のあがないしかありません。それを信じるとき、私たちは罪から解放されるのです。

     このような方であるからこそ、その誕生を祝わずにはおれなくなる。だからクリスマスは今日まで祝われ続けているのです。
     ヨハネは、「あなたの人生に喜びが満ちあふれるため、イエスは現れた」と言っています。その意味を知るなら、今年、あなたは喜びをもってクリスマスを祝うことができるでしょう。