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「私とつながっていれば、豊かな実を結ぶ」
        (新約聖書 ヨハネによる福音書第15章5節)

私とつながっているなら

  •  生命力を感じる季節を迎えています。
     30年近く前、今の教会が建てられたばかりの時に、一本の苗木をもらいました。何も気にしないで植えたのですが、ものすごい勢いで伸び、庭木の域を超える大木になって初めて「榎」であることを知りました。
     毎年枝打ちだけはしていたものの、幹はぐんぐん伸びていきます。とうとう屋根よりも高い所まで登らなければならなくなり、危険を感じたので、ある年、意を決して、切り倒してもらうべく業者に見積もりを頼みました。すると、予算をはるかに超える額です。その瞬間、「もう、自分でやるしかない!」と悲壮な覚悟をしました。
     すでに10メートル以上ありましたので、一気に倒すことはできません。末端の方から少しずつ切り落としていきました。
     ただ、木にしがみつきながら、作業をしていると、木の生命力が伝わってきました。その命は、ちっぽけな枝の先にまであり、つながっていれば刻々と伸びていくのです。ところが、ふと、下に目をやると、さっき切り落としたばかりの枝の葉がすでにしおれているではありませんか。「命につながっている」ということが、どれほど大切なのかがわかりました。

     漫然と毎日を過ごす若い人たちに、覇気がない、意欲がない、やる気がない、活気がない。根気がないと指摘する文章を目にしたことがあります。しかし、その状態は、すべての現代人にあてはまることです。
     仕事や学校に行けず、家にこもってしまい、家族以外の人との交流がない人、いや家族とも会わないで毎日を過ごしている人もいます。また、働こうとしても人間関係がうまくいかず、勉強する気があっても、先生や友だちとの関係を考えると足が向かない。引きこもりになっていなくても、ストレスをかかえ、なんとか肉体は維持して「生きている」状態でも、心はズタボロで、生きる意味も見いだせず、目標もなく「生ける屍」のようになっている、そのような人は意外に多いのです。

     なぜ、人間はそのように力なく、なえ、しおれてしまうのでしょうか。
     さまざまな理由はあるかも知れませんが、聖書は「命とつながっていないからだ」と言っています。
     どんなものでもつながっていればいいというものではありません。信頼していた人に裏切られることもあるでしょう。当然、よくないものにつながるなら、自滅を早めることになります。
     しかし、大地にしっかりと根ざした木が伸びていくように、命の根源である神、人間を造られた神につながっていなれば、あなたの心はみるみるうちに生気を取り戻していくはずです。

     新約聖書ヨハネによる福音書第15章では、神と人間の関係を「ぶどうの木」に例えて、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである」(15:5)と教えています。
     私と「つながっている」、つまり神を信じるならば、その人は神から与えられる生命力によって豊かな実を結び、「離れている」、つまり神の存在を否定し、神に背を向けて生きているならば、何もできずにしおれ、枯れていく。自分を生かすも殺すも、神とのつながり方しだいなのです。

     もしあなたがあなたの中に生きる力を見いだせないなら、今、神とつながる決断をすべきではないかと思います。