昨年3月27日(日)より「中央区小山3-31-3」にて礼拝を行っています。
「私のもとに来なさい」
(新約聖書 マタイによる福音書第11章28節)
家族の中の孤独
- 昨年亡くなられたイギリスのエリザベス女王は、一昨年、2021年のクリスマスに、「クリスマスは多くの人々にとって幸せなひとときですが、愛する人を亡くした人にとってつらい場合もあります。今年、私にはその気持ちが特に理解できます」とのメッセージを国民に向けて語り、70年以上連れ添い、その年に亡くなった夫、フィリップ殿下のことについてふれたのち、「望むようなクリスマスを祝うことができない方がおられるかもしれませんが、家族とツリーを飾り付け、クリスマスキャロルを歌って、大切な家族と幸せな時間を過ごしてください」と呼びかけました。
いつからなのでしょう。家族という言葉が空虚なものに感じ始めました。それもそのはずです。連日のように事件として取り上げられるのは家族内で起こったことばかりです。
子どもの非行や虐待、放置死、離婚と親権訴訟、家庭内の貧困、介護疲れ、年金の不正受給。殺人が起きたら真っ先に疑われるのが家族であり、事実、高い確率で家族が逮捕されています。家の構えは立派でも、中で何が起こっているのかだれもわかりません。
このような時代、クリスマスや年末年始を「家族で幸せな時間」にすることは、至難の業かも知れません。
夫婦共働きの家庭が多くなっていますが、相手が帰宅するなり「ああ、疲れた!」と言った言葉に腹を立て、「当てつけがましい!こっちだって、疲れているんだ」と反論したくなる時はないでしょうか。外で仕事をされていなくても、家事、育児、食事の支度と、忙しくしているわけですから、夫婦げんかが始まること間違いなしです。
息子や娘はいるのかいないのか、リビングに下りて来て一緒に食事をするどころか、会話もありません。かろうじて、冷蔵庫の食材が減っていることで、「生存」を確認しているような有様。
そして、それぞれに隠し事があり、自分勝手なことをやっている。家に一緒に住んでいても、なんの会話もなく、信頼関係もなかったとしたら、こんなさびしい家族はありません。
しかし、残念ながら、これが多くの家庭の実情です。現代の孤独は、そばに家族がいるからこそ、深刻なのです。
家族の幸せ、人間関係の祝福を願うなら、まずあたなが孤独から抜けださなければなりません。
有名な賛美歌に『いつくしみ深き』があります。
私のことを「私の友」と呼んでくださるイエスは、私の憂いを取り去ってくださる
私のことを「私の友」と呼んでくださるイエスは、私の悩みを知って、慰めてくださる
私のことを「私の友」と呼んでくださるイエスは、いつも変わらずに私を慈しんでくださる
あなたが倒れた時、起こしてくれる友が、あなたのそばにいることを知ってください。
「重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書第11章28節)