ようこそ

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな」
                   (マタイによる福音書第6章33節)

明日がある?

  •  私は学生時代、あまり天気予報を聞きませんでした。なにか主義主張があるのではなく、ただ面倒だったからです。自分の勘を信じて傘を持たずに出て、雨に降られた時などは、「今日は負けた」などとつぶやいたりしていました。
     私の場合はともかく、天気の予測についてはいろいろあって、例えば野球ファンは「今日広島球場が雨で中止になったから、明日は雨だ」と大胆に言ってのけ、かなりいい確率で当たったりします。動物などを見てわかる人もいるようです。
     今の天気予報は1980年6月から採用された「降水確率」を使っているので、以前のあいまいさとは数段進歩しています。データの蓄積もありますし、気象衛星を使ってのかなり詳しい予測も可能になってきました。しかしそれでも100%というわけにはいきません。

     天気よりも知りたいのが、私たちの「明日」です。しかし、少しくらいわかれば楽なのですが、予測不能ときています。明日というか、次の瞬間何が起こるのさえわかりません。

     10年ほど前に「明日がある」という歌が再ヒットしたことがあります。明日どんなことがあるかわからないけれど、がんばっていこうよと歌っています。姿勢はすばらしいと思いますが、「明日がある」とだれが保証してくれるのでしょう。私には、「また明日」とあいさつして別れた友人が、その翌日、交通事故にあって亡くなったという悲しい思い出があります。

     聖書はそんな私たちに「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない」(ヤコブの手紙第4章14節)と言っています。

     天気ならばまだしも、毎日毎日何が起こるかわからない時を過ごし、明日を心配して神経をすりへらしている方は多いはずです。占いにはしるのがその証拠です。不確実でも何かにすがって安心を得たい気持ちはわかります。しかし、そもそも信じ切れないものに頼ったところで心が平安になるなどあるわけがありません。

     ぜひ、聖書の言葉に耳を傾けてください。そこには、神こそが私たちの「明日」を知っておられる唯一の方だと教えられています。
     確率や予測に頼る、ギャンブルのような生き方ではない、確実な生き方、それは私たちの明日を知ってくださっている神に、自分の歩む道をすべてまかせていくことです。必ず、すべての不安は解消され、自信を持って毎日を送れるようになるでしょう。

     「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな」(マタイによる福音書第6章33節)。
     あなたの明日を神におまかせするのです。
     あなたに、神の平安がもたらされますように。